今年は、元旦を東京の家で、一人、ぽつねんと迎えた。

その間にいろいろ考え、目下住んでいる那須のサービス付き高齢者住宅をそろそろ引き払い、

東京に戻ってこようかなあ……などと思い始めている。

そうするのなら、いろいろ準備があるけれど。

私はどうにも決断し切れない。

思えば、東京の家は、私が三十八歳の時に始まった母の介護、それに続く父の介護を一人で延々と続けてきた家だった。

長きにわたったその介護と看取りの日々の記憶が、家のそこここにしみこんでいて、そこにいるとなんとなく切ない。

その切なさを振り切り、「人生の晩年を新しいステージで生き直す!」との思いで

美しい高原に建つ那須の高齢者住宅に向かった私だったのだ。

なのに、また東京に戻ろうかな、との思いがぬぐいきれないのは、

どうしたものか?

東京の家は、一階は私の仕事場で、二階に息子家族がにぎやかに住んでいた。

そのにぎやかな人たちが、最近、引っ越してしまったので、今は空き家状態になっている。

その空き家になった家が「なんとかしなさ~い」と、私に向かって叫んでいるような状況だ。

元旦が過ぎたころ、息子が子どもたちを連れてやってきた。

一瞬、家がにぎやかになったけれど、

それが過ぎたらやっぱり、誰もいなくなった……。

で、一人でよくよくこの家をどうするかを考えてみた。

思えば、いずれ私も仕事がなくなる。

お金がかかる介護型の施設に入ったりするかもしれない。

そうなったら家を売却して資金にする、と決めている。

決めてはいるが、それが必要になるのはまだ先。

今から十年後くらいかなあ……というのがこちらの予測だ。

それまではフリーランスで、年金を当てにはできない私なので、

那須と東京を行ったり来たりしながら、せっせ、せっせと働き続けよう、

と思っていた。

けれど、この行ったり来たりが、年齢と共につらくなっている。

いっそもう家は売却してしまおうか、と思ったりもする。

ついには考えるのが面倒になり、最後には、私が東京に戻ってこの空き家になった家に住むのが

一番、済的でいいんじゃないの? と思うようになった。

そんなこんなで、年々、決断をせまられる。

その度に自分の決断力のなさを思い知らされる。

これが「老い」というものかなあ、と思う。

そんなわけで、なにかと自問自答で疲れはてている私ではある。

でも、今年もなんとか背筋をシャンと伸ばし、

にっこり笑って明るく頑張ってみようと思う。