目下、東京と那須を行ったり来たりして暮らしている。

それもこれもコロナの終焉と共に、東京に行く仕事が増えてきたからだ。

でも、この行ったり来たりが、なかなか私には大変。

どうも、コロナが続いたこの4年ほどの間に、

身も心もすっかりリタイア気分になってしまっているらしい。

というのもこの間、なにも考えずに暮らしていたら、

年齢がぐ~んと進んでしまっていたのだ。

そんなわけで、ただでさえおぼつかないタイプの私が、そのおぼつかなさをさらに更新してしまった、

ということに気がつかないできたらしい。

正直いって、久しぶりに東京に出ていったりすると、

余りにシャキッとしていない自分を実感してしまう。

そう、コロナがあろうとなかろうと、

私は、このごろ、なにかと調子が狂っていたりするようなのだ。

仕事の現場で、あれこれ忙しく日々を生きている人と会ったり、話したりする

と、そのことに気が付かされてしまう。

もの忘れがひどいし、理路整然としていないし、

常に明後日の方向を見ている、といわれていた感じが、

さらにひどくなっているようだし。

私としては、こういう自分をよくよく知り抜いてはいるものの、

なすすべがない。

そんなわけで、このごろは、なにをやっても苦戦の連続になっている。

年を重ねてしまうと、たとえ少しのブランクでも、大変なものなのだなあ、

と思い知らされる。

おまけに、私は元祖フリーターというか、フリーランスというか、会社という

ものにきちんと勤めたことがないまま、ただひたすら年だけを重ねてきた。

そのせいで、しっかりした年金というものもない。

何度も、将来のことを考えて、きちんと未来設計をしておいたほうがいいよ、

といろんな人に言われてきたにもかかわらず、である。

結局は、行き当たりばったりで、生きてきてしまった。

そのツケが、ついにこういう感じで来ているのね、と思う。

時々、自分で自分に向かって「分かっていたことでしょう?」

と、言ってはみるのだけれど、やっぱり心のどこかで思っている自分がいる。

「どうにかなるんじゃないの?」と。

このいつのまにか身についてしまった「どうにかなるんじゃないの?」気分が払拭できないでいる。

そして、最近はなにかにつけて思う。

「ま、家があるから……」と。

父の遺した東京の家に帰りさえすれば、きっとなんとかなる、と。