真っ青な空に浮かぶ真っ白な入道雲、
高原の風が、木々の梢をちらちらときらめかせて吹き抜けていく……。
さわやかだなあ~ ここに移住してきてよかったなあ~ ラッキーだったなあ~
と、いつも私に思わせてくれていたこの夏という季節。
それが「今年はいったいどこへいっちゃったの?」と言いたくなるような、う
らめしい日々だった。
空気はジメジメ、しっとりしていた。日差しの中を行き来すると、汗がしたた
り落ちてきた。おまけに、灰色の雲がむくむく湧いてきたかと思うと、降り出
す雨は、いきなりのどしゃぶりだったり。
なんだ、こりゃあ、と思いつつ、あまりの暑さに居たたまれず、クーラーをガ
ンガンつけて部屋に閉じこもっていた厳しい日々だった。
さらに、思いもかけないことがおきた。
私が暮らすサービス付き高齢者住宅でコロナが出たのだ。
ちょうど東京に戻っていた私のもとに、那須の友人から「しばらく帰ってこな
いほうがいいよ~」と知らせる電話がきた。
が、それを聞いたとたん、なぜか私はびっくりして那須に戻ってきてしまった。
「あなたさ、なんで帰って来たのよ〜。来るなってせっかく言ってあげたのに」
と言われた。
確かに「なんで来ちゃったのだろう」という奇妙な気分だった。
コロナはもう遠い記憶、というこの時期になって、なんで? いまさら? と
いう感じではあった。それにしても、「コロナは東京に行った誰かが持って来
るのよ」と、皆、口を揃えるわけで。そんなさなか、わざわざ東京から帰って
きた自分の行動が、ますますわからない。
いったいなにをやっているんだろう、そんな心境だった。
たぶん、我が家の一大事!という感じで、気が転倒しちゃったのかもしれない。
ともあれ、戻ってみて、びっくりしたのは、食堂に大きな箱があったこと。
中には、なんとコロナウィルスの抗原キットなるものが、びっくりするほどた
くさん入っていた。
「やり方を覚えて自分でやってね。心配な人は毎日やってるよ」とスタッフに
言われ、陰性か陽性かを自分でチェックする方法を丁寧に教わった。
もし陽性だったら、一週間、自室で自粛するのがルールということだった。
「食事はね、スタッフが運びますよ」とも言われた。
そう、なにごとも自立自助で頑張ってね、ということだ。
この事件は、それなりの騒ぎであったものの、コロナにかかったのは6人目が
最後。あれこれ言われていたコロナも、もうさほどの威力がなかったというか、
これぞ、皆でワクチンを集団で打っていたお陰なのか。
コロナ危機は、みんなしてスムーズに乗り越え、まずは、あっけないほどの短
さで、事なきを得たのだった。
とにもかくにも、この夏の異常気象にしても、コロナ事件にしても、なにかが
起こる度に、思いもかけなかった体験をいろいろしてしまうことになる。
おかげで危機への対応力もついてくる。
なるほど、それが人生というものなのだ、と実感した夏だった。