人形劇の練習を始めることにした。
そう、いつも思いつきのようになにかを始めてしまう私だ。
そもそも、近所の空き地を借りて野外人形劇場をつくろうと思いついたのが、2年前のこと。
なんでそんなことを思いついたのか、今やそれも定かではない。
おまけに、「原っぱ」を私に年間1万円で借してくれた元商社マンの地主さん
が、妻亡き後の一人暮らしに躓き、今は同じ高齢者住宅の入居仲間になってしまっている。
しかも、想定外のコロナ禍にも襲われて、ぐずぐずと思うにまかせずにいたら、
なんと私の方も2年分の歳をとってしまった。
高齢期の2歳は、かなり厳しい。
いつのまにか気力があっても身体がついていかなくなっている!
とくに今年は寒波続きのせいもあって、膝が痛い、腰も痛い、
痛いところが日々増えていく感じだ……。
けれど、けれど、始めちゃった以上は、闇雲にでも前に進むしかないよね、ということで、
まずはパソコンの前に一日中座り続けて、エクセルで綿密な練習スケジュールを組んでみた。
それを「やるよ~」と、以前、言っていた人たちに配布した。
勝手に郵便受けに入れて回ったのだけれど、
今や、その方たちが本気でやるのかどうかは定かではない。
でも、思えば団塊世代である私の小学校時代、1クラスはおおむね50人。
今、私の住むサービス付き高齢者住宅も、常時50数人ほどの入居者が暮らして
いる。男性は少なめだけれど一応男女共学? だし。
小学生の頃、学芸会とかなんとかで、先生が「やりたい人」と聞けば、
たいてい20人ぐらいは、張り切って「は~い」と手をあげたものだ。
私は、そういう時、絶対、手をあげたりはしなかったけれど、
みんなに「やれよ」とか「なんでやんないのよ」とか言われれば、
「ま、いいか」と、消極的ながらも参加した。付和雷同型だ。
きっと50人ぐらいの集団というものは、そういうものに違いない、と私は思う。
しかも、ここは60代から90代までと年齢幅はなかなかのもの。
しかも、みな自己選択で、全国からこの関東の北のはずれ、
栃木の那須高原にまで自らやってきて、運命的に出会ってしまった間柄だ。
そういう人たちが、あの頃の1クラス分だと思うと、なかなかに感慨深い。
未だに誰がどんな経歴の人なのかとか、どういう経緯でここに来ちゃったのか
ということは、さほど詳しくはない。
それでも、公認会計士、看護師さん、国家公務員、美容師さん、商社マン、編集者、
セレブ妻、教師、生花の師匠などなど、ずいぶんと多彩な分野から集結している。
ゆえに、人材が豊富だ。
さらに仕事でいやおうなくパソコンを使い初めた世代の人たちも多いので、
高齢者といえども、パソコンの一斉メールもOKで、スマホのラインも自在に使える。
そのギリギリの世代。
そんなわけで、始めればなんとかなるだろう、と思っていた練習日、
音楽室に一人で練習用の舞台を作って待っていたら、期待通りの参加者が集結してきた。
かくして、「原っぱ」シニア人形劇団らしきものが発足することとなった。
入居者が自ら立ち上げた人形劇サークルのある高齢者施設って、
なんかいい感じだ。
おまけに、自前の野外人形劇場を「原っぱ」に持っているなんてねえ、
と久々に晴れがましい思いがしたのだった。