朝、目覚めるとともに庭に出て那須の山々を眺める。
白い雪をかぶったそれらが、朝の光を受けて薔薇色に染まっている。
山の上にぽっかりと浮かぶ雲も朝焼けで、なにやらほんのりと頬を染めてはにかんでいるようだ。
なんとも初々しい朝だった。
思えば、いつのまにか日課になったこの「朝に夕に山を仰ぐ日々」を思うだけでも、
私の人生にとってはずいぶんと大きな変化だったなあ、と感慨深い。
そもそも家族から一人離れて、なにを求めてここまできたのか……、
なんてことも思う。けれど、毎朝ここに立って、山を眺める、もうそれだけで、
ここに来たことの甲斐があった、と思う。
おまけに家族も、今やなにかと那須にやってくる。
彼らにとっても、山々のふもとに暮らす私の住むサービス付き高齢者住宅が、
新しい実家になったようで、3歳の孫娘は私のことを「那須のばあば」と呼ぶ。
会うたびにハグして再会を喜び、別れるたびに手を振って別れを惜しむ……。
ま、そんなことを繰り返しているわけで、私はもう、ここからまたどこかへ行
くわけにも行かない、と思う。
いくらなんでも、顰蹙をかうことになってしまう。
自分の人生を混乱させてきたわが放浪癖も、たいがいにしなくてはいけない、と思うのだ。
そんなことを山を眺めながら思うのは、この朝、
ここで出会い、ここで親しくなった年上の夫婦が、長く暮らした長野の白馬村へと戻って行ったのだ。
那須に来た時から「那須連山が美しい」と私が言うと、
「いやあ、白馬山の美しさは、那須の比じゃないっ!」とムキになっていた友人の夫に、
妻の彼女が折れたのだなあ、と思う。
彼ら夫婦は、来て2年も経たずにサ高住を出て、近くの別荘で暮らし始めた。
私としては、そこをまるで自分の実家のように出掛けて行き、ご飯を食べたり、
手作りパンやジャムをもらったりして甘えて暮らしていたので、かなりつらい。
元編集者の彼女は、同じ世界で仕事をしていたせいもあり通じるものがあった。
その彼女は、定年後、白馬で念願のペンションをはじめ、
飲み屋で知り合ったという年下の彼の力を借りて、第二の人生を充実して送っていた。
その彼が、結局は彼女が晩年を過ごそうとした共同生活になじめなかったのだ。
人の選ぶ人生はそれぞれで、「終の棲家」と言われがちなサ高住とは言っても、落ち着く人ばかりではない。
来る人あり、去る人あり。
わずか4年の間に、わがサ高住を行き過ぎて行った人は思った以上に多く、
人生の晩年の「終の棲家」探しは、なかなかに定まらないものだ、というのが現実のようだ。
みな、薔薇色の場所を探しあぐねて、さ迷っている、そんな気もする。
別れの電話で「最後に、また一緒になる気がするね」、そう告げたけれど、
思った以上に寂しい。
ここに来て奇跡のような出会いをし、友となった人と別れるのが、
かくも悲しいものなのだな、と思い知らされた気がする。
庭に出て、山々を眺めながら、気を取り直して新しい年への抱負を考えてみよう、
なんて思ったけれど、別れの悲しさばかりに胸がふさいでしまった。
結果、「あらぬ抱負はもう抱かない、成りゆきに身をゆだねて、後は飄々と……」
なんてことを思ったのだった。
さすがにコロナも終焉に向かっている、それだけは信じたいと思う私だ。