年末進行が始まって、目下、私はパニック状態。

なんて言うと、なにそれ? といわれそう。

実は、70代になった今も、私は相変わらずの現役フリーランスライター。

雑誌とか新聞とかの原稿を書く仕事で生計を立てている。

で、この仕事の世界では、年末の原稿締め切りが12月前半に集中する。

これを年末進行、と呼ぶのだけれど、こなすにはかなりのエネルギーがいる。

私は、それほどたくさんの仕事をしているわけではないけれど、

年齢と共に根気もやる気も忍耐も効率も体力も……あらゆる能力が低下しつつある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのため、急に忙しくなるとか、やることが過剰になるとかすると臨機応変に適応できず、

ただただパニックに陥ってしまうのだ。

だったらもうリタイアすれば、と言われるけれど、そうもいかない。

元祖フリーターみたいに生きてきた私は、年金に恵まれていないのだ。

これについては自業自得なので文句はない。

いや、文句の言える立場にはない。

そもそもこの私は、専業主婦だったこともないし、厚生年金のある会社に勤めた経験もないし、

ボーナスをもらったこともない。

つまり、長い人生を生き切るにはあまりに無防備だった、と言わざるを得ない。

むろん、国民年金は、そこそこ支払われてはいる。

けれど、昔は任意制だったので、ビンボーな若い時代の私は、老後のことなどなんのそので、

きちんと保険料を支払わなかったのだ!

ちゃんとしなくちゃなあ、と気づいた時はもう遅すぎた。

ちなみに、目下、私は幸運にもなかなかに素敵な過疎地で、

なかなかにユニークなサービス付き高齢者住宅で暮らして、大いに満足している。

が、ここで毎月引き落とされる基本料金と食事代を年金で支払っても赤字になる。

が、いずれ、食も細くなるだろうし、一日一食主義にすればなんとかなるかなあ、といったところ。

そんな私なので、ここに来て一番、実感し、かつ感動したことは「年金ってすごいなあ」ということ。

なにしろ、周りの人のほとんどが、年金受給者。

まだ働いている人もいることはいるけれど、多くは悠々自適なご様子だ。

私は、働かなくても、働けなくとも、そこそこの金額が定期的に振り込まれる、

この「年金制度」という社会の仕組みの重要さを思い知らされたのだった。

先日、あからさまにも「ねえ、あなたが好きに使えるお金っていくら?」と、友人に聞いてみた。

「う~ん、公務員だったからけっこう年金が高い、月9万ぐらいは好きに使う」なんて人もいれば、

「みんな、自分の人生の時間を考えて、貯金をとり崩しつつ暮らしているわけで、

いくら使えるかは、その人の貯蓄額次第。みんなちゃんと計算し計画を立ててやっているわけよ、

それが高齢者の常識なのっ。私は手許金は一応、一日千円って決めてやってるよ~」

というきちんとした人もいる。

昔の無年金時代の高齢者たちは、たいていは子どもから仕送りを受けていた。

仕送りできなければ、子どもが自宅に老いた親を引き取り、面倒を見てくれた。

が、今は、親も子も自立して暮らす、それが当り前になっている。

というわけで、なにがあっても私は自分の選んだ職業をまっとうすべく頑張るべきであって、

年末進行ぐらいのことでパニックを起こしたりしている暇はない、と思い至ったのだった。

とにもかくにも、子どもから高齢者まで、この格差社会ニッポンを、皆、

それぞれ必死で生き抜いているんだよね、としみじみ思わずにはいられない私である。