東京へ行けなくなって、4カ月にもなる。
そう、予想もしないことが起きて世界中の人がお出掛け不自由の身に。
ま、過疎地に住む高齢者の私は、
お出掛けが不自由でもどうってことはないのだけれど……。
それでも、芽吹きの季節からうるわしき初夏へと向かう季節だ。
じっとしてはいられない。
不要不急のこの数カ月、道沿いの、美しい松の木のある、
誰もいない「原っぱ」のあたりをひとりうっとりとしながら歩き回っていた。
歩き回りながら、
廃校小学校の教室に置いてある人形劇の舞台や幕や照明機器を入れておく
物置を置く場所がないかなあ、と思っていた。
ある時、地主さんに聞いてみたら「どのくらい?」と聞かれた。
それで、物置きには、どのくらいのスペースがいるかなあ?
と巻き尺で計測していたら、
その私の姿を丘の上の家の窓から眺めていた地主さんが、やってきて言った。
「キミね、そういうことじゃないんだよ、
この辺で土地を借りるってことは、このあたり全部ってことなんだよ」だって。
ええっ、ここ全部! 茫然としていたら、
「人形劇とかをやったらいいんじゃないの?」
言われたとたん、いきなり、イメージがわいた。
そうだ、そうだ、物置きじゃなくて「原っぱ」を劇場にしちゃえばいいんだ。
クローバーを敷き詰めて舞台にして、観客席は廃材利用、
可愛いパペットハウスを作って、いずれテント小屋も……。
そもそも、どうせ大道芸。
私の人形劇の舞台は、街頭用の舞台だし。
原っぱさえあればいい、クローバーの種を撒きさえすればいい。
実は、その地主さんの彼は元商社マン。
私の住む、高齢者住宅の土曜日ごとに開催する「居酒屋」で、
何度か一緒に飲んだご近所の方なのだ。
世界のあちこちに赴任し、最後にニューヨーク支社にも、というお方。
きっと公園に建った人形劇舞台などをよく見かけていたに違いない。
聞けば、彼が所有する広大な土地は、元職業軍人だった父親が、
終戦後、家族を引き連れて開拓に入り、
水もないよ、電気もないよ、という厳しい環境の中で
苦労の末に開いた場所だった、とか。
そんな物語を秘めた土地を成りゆきで、
私は年間1万円で2000平方メートルほど借りることになったのだった。
でも、シニアな女が一人では、なんにもできないし……。
ということで、急遽「原っぱ」プロジェクトなるものを立ち上げて、
コミュニティの仲間たちに呼びかけることにした。
七十代、八十代の自立したシニアたちの表現の拠点を、
今こそ、この「原っぱ」に創ろうよ、と。
このプロジェクトは、
過去を振り返らず、未来を夢見ず、目標なし、意義なし、意味なし、
今が楽しきゃいいんじゃないの、というやぶれかぶれの無責任プロジェクト。
はたしてどうなるか。いや、どうなってもいいかあ。