ベッドメーキングの実習を体験した。

畳んだシーツをベッドに広げて、四隅で三角形を作って、

すばやくマットレスに挟み込み、ピシッと仕上げる。

そう、ピシッと。

どの布の端を持って、どっちの方向へ、どう引っ張るか、テクニックがいる。

ビビった私は、「お先にどうぞ」を繰り返して、

ほかの人のやっている手順を目を皿にして覚えようと頑張った。

けれど、自分の番が来たら、緊張のあまりあがって、もう汗だく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周りの人が「ああ、そうじゃなくてえ」「そこ左手で抑えて」と口々に言うなかをなんとか終了。

みんな、拍手なんかしてくれたけれど、駄目だ、こりゃ、そう思った。

そもそも、私は何十年もベッドに寝ているけれど、

ベッドメーキングなどという高尚なことをした覚えが一度もない。

ホテルのあの美しいベッドメーキングには感動はするけれど、

覚えようと思ったこともない。

そもそも、ウチのシーツの裾にはゴムが付いていて、ただかぶせるだけだし…。

むろん、どんなこともきちんとやるというのは大変なこと。

たかがベッドメーキング、されどベットメーキングなのだ。

こういうところで天性とも言うべき不器用さはあらわになってしまうのだ、と落ち込んでしまった。

ワタシ、介護、向いてないかも、と。

実は、私は目下、介護の資格をとるべく講座に通っている。

というのも、那須のコミュニティ住宅に暮らすようになって、ハッと気が付いたのだ。

誰かの介護、身体に触れて行う行為には資格が必要なんだわ!と。

延々二十年、親の介護をしてきたけれど、資格が問われることなんてなかった。

ところが、家族への介護に資格はいらないが、家族のような人への身体介護には資格が必要なのだ。

人手不足の折、過疎地のコミュニティでは、元気な人が元気じゃない人を支える「老々介護」が、

どうしたって必要になるよなあ、と思った次第。

自分がいずれ、どんな介護を受けるのかを知っておく必要もあるなあ、とも。

ノンフィクションライターの私は、根っからの現場主義が身に染みている。

介護保険法に、高らかに謳われている利用者への

「有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう」(自立支援)とか、

「これらの者が尊厳を保持し」(尊厳の保持)とかが現場でどう実現されているのか、

知らないとなあ、と思っているのだ。

けれど、この私の理念も貫くのは大変。

学ぶべきテキストは部厚く3冊もあるし、実習は不器用な私を落ち込ませるし、

おまけに今は、この初心者研修を突破するには、

お金もかかるし、試験まであるのだ!

まわりの「家族ではないけれど、家族のような」人たちは、

「絶対、挫折しちゃだめだからねっ」なんてはっぱをかける。

講座が進むにしたがって、しみじみ思わざるを得ない。

これって、年寄りの冷や水? ほかにも類語がある。

年寄りの木登り、年寄りの夜歩きなど、高齢者が無茶して空回りをする行為は、

昔からいろいろあるようなのだ。

私もその類なのかも、ね。