私の東京の元家には、目下、息子の家族が住んでいる。

おかげで、かつて老父と私の二人で寂しく住んだその家は、

今や孫娘が3人にもなり、子育て世代の5人家族としてにぎにぎしく繁栄している。

私はそこを今や「実家」と呼び、時々、出掛けていく。

先日は、そこからSOSが入った。

連休中に息子が上の娘とお出掛けで、

家に残るゼロ歳と6歳の面倒をみる妻の手伝いの要請を受けたのだ。

つまり、息子が「妻のお助け人として緊急派遣した母」というのが、この日の私の立場。

この要請が、果たして彼の「夫としての点数稼ぎ」になるのかならないのか、

むしろ減点だったりして……と思いつつも出掛けて行った。

実は、この家は古い遊園地の裏あたりにある。

かつては、その遊園地の夏の花火を老父と二人、

家の二階から缶ビールを飲みつつ見物したりしていたのだ。

それが、地域の高齢化が進むに連れて、この遊園地が急速にさびれていった。

けれど、ここには、私の心から愛してやまなかった古い回転木馬があった。

この回転木馬は、1907年にドイツのミュンヘンで造られ、

ヨーロッパ各地をめぐり、アメリカのコニーアイランドの遊園地へと渡った。

そして、1971年にこの日本の遊園地にたどりついた遍歴の回転木馬なのだ。

およそ20年前、この木馬はもう無残というしかない姿と化していた。

赤いビロードの幕は色あせ、天井に描かれた華麗な天使の絵は剥げ、

かつてはまばゆいほどだったにちがいない電飾の電球も切れていた。

地域では、遊園地の閉園がうわさされていた。

とくに雨の日の午前中などには、人影もなかった。

よく、私は、そんな日に遊園地へとわざわざ出かけていった。

そして、うっそうとした木々の緑の中に見捨てられたようにあるこの回転木馬をベンチに座って、

延々と眺め続けていた。

ところがどうだろう。

わが元家に最初の孫娘が誕生した頃から、地域に地下鉄が通ったりしてぐんぐん交通至便の地となり、

新しいマンションやおしゃれなカフェができ、「子育て世代」に人気の地域へとなっていった。

今や、週末になると、遊園地に続く駅前広場は大賑わい。

もちろん、息子の子育て助っ人を要請されたこの日も、「義母、嫁、孫二人」の

チームで徒歩数分の遊園地にいさんで出かけ、一日中過ごしたのだけれど、

行く度にこの遊園地の蘇りには、驚かされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の愛したあの見捨てられた回転木馬は、

遊園地の中心として目を奪うほどきらきらと輝いて永遠のごとく回転し続けている。

子どもにも大人にも愛されている。

私は、奇跡のようなその姿を見るたびに、

なぜか寂しいような、嬉しいような複雑な思いに襲われる。

まるで、最後の大逆転みたい。

私たちの誰かの最後にも、

こういう想定外の人生なんてものもあるのだろうなあ、

なんてことを思ってしまう。

そういえば、「終わりよければ、すべてよし」。

いや、その逆の大逆転だってあるわけで……。

つまり、まだまだ最後まで何が起こるかわからない。

とんでもないほど個性的な6歳児と、生まれて一年にも満たない赤ん坊と、

子育てと仕事に翻弄される若い母親と共に、束の間のシアワセナな休日を楽しみながらも、

「人生は、まだまだ油断ならないのかも……」と思った次第。