今年の三が日は、ご近所の有料老人ホームに毎日、通うことになった。

元旦はホームで百人一首のカルタとり、2日はボーリング遊び、3日はカラオケである。

というのは…… なにを隠そう、

私は、このご近所のホームの機関紙「銀杏」の編集長ということになっている。

それで、春号のためにホームの年末年始の様子の取材をしなければならない。

手伝ってくれていたスタッフが体調を崩し、今や私が、全責任を負う身になっていて、

「あれ? 誰がやるんだっけ? あっ、私じゃないの」ということに気付いたのだ。

今年は、年末年始をどこへ行こうか、などとのんきに夢見ている場合ではなかったのだった。

実は、このホームは父と母の介護でお世話になった場所。取材を含めてなんと、

なんと、20年以上もお付き合いをしている。

きっかけは、母が脳血栓で倒れ車椅子の生活になり、在宅介護を続けて8年目ぐ

らいの時だった。介護との両立が厳しくなり、仕事をすることも不可能な状況に

なっていた頃、「そうだ、介護をしながら近所の老人ホームに通って定点観測、

そこで暮らしている人のルポを書こう」と思いついたのだ。

これぞ、一石二鳥、介護のことも学べるし、仕事もできる。

「なんて、私って頭がいいんだろう」と思ったのだ。

ところがである。

当時、神奈川県の藤沢に住んでいた私は、徒歩や自転車で行ける場所ということで、

いろいろな施設に取材のお願いに出掛けたのだけれど、すべて断られてしまった。

断らないところも、取材制限があって、職員立ち合いの元、ということで、

長期で定点観測なんて、とんでもない! ということだった。

それでもめげずに、あちらこちらと尋ね歩いて、

ついに東京のとある練馬の老人ホームにまでたどり着いた。

そこは、どことも違っていた。

案内された食堂で、ホームの社長である年配の女性に取材のお願いをしていると、

いきなりど派手なガウンを羽織って、

歩行器にジャラジャラといろんなものをぶら下げている老人が、威風堂々とはいってきた。

そして、「ビール!」と叫んだのだ。

すると、社長が、「はい、はい、お待ちください」と言って、缶ビールとコップを出した。

「えっ、昼からビール? ここって、それ、OKなんですか?」

思わず、聞くと、彼女が澄まして答えた。

「はい、このホームは、お酒も煙草も恋愛も外出も自由でございますよ」

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そして、この派手なガウンの老人は、どこそこの音楽大学の元教授で、

毎日、日課のようにロビーのグランドピアノを華麗に弾かれ、

毎週、音楽の模擬授業もやっていて、入居の方々が、一緒に歌を歌うのだそうだ。

「オモテになる方で、元教え子の女性たちがよくお遊びにおいでですのよ」

なんてユニークな、と思ったそのホームから、

「あなたが好きな時に来て、好きな人を取材して、好きにお書き遊ばせ」

と言われたのだった。

その太っ腹な女性が、ホームでは祐子先生と呼ばれている創設者で、当時、七十代。

まだ、介護保険制度前の話である。

そのホームは、自転車で取材に通える場所ではなかったけれど、

母の介護を終えた夜に家を出て、

夜中の2時にタクシーで帰るというとんでもないことをしながらも、通っていた。

そのうちに、寝たきりになってしまった母の介護をお願いすることになり、

息子が18歳で自立したのを機に、

私もホームから歩いていけるマンションに引っ越して、

毎日、毎日母の元に通うことになったのだ。

90代になった祐子先生は、今は会長に。

イベントのある時は、ビシッとした着物姿で挨拶をする。

彼女が出てくるだけで、拍手がわく。

20年前、ふらふらと見知らぬ町へやってきて、偶然のように彼女に出会った時は、

ここまで長くこのホームと付き合っていく関係になるとは思いもよらなかった。

でも、過ぎてみれば、この偶然はまるで必然のように思える。

こんなふうに、ふとした「きっかけ」やふとした「出会い」、

この連続こそが、自分の人生を展開させてきたものなのだなあ、と思う。

さて、今年はどんな出会いがあるのだろう。

そう思うと、毎年のことではあるが、胸がときめいてくる。

久田さんH200

ひさだめぐみ★プロフィール

1947年北海道生まれ。上智大学文学部中退後、ノンフィクションライターとして活躍。『サーカス村裏通り』で作家デビュー。『フィリッピーナを愛した男たち』で第21回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『息子の心、親知らず』で平成9年度文藝春秋読者賞受賞。『母親が仕事をもつ時』『トレパンをはいたパスカルたち』『今が人生でいちばんいいどき!』など著書多数。
個人事務所のサイト花げし舎