「自宅を人形劇場にしちゃった変わった方ですよねえ」

先日、初対面の方からそんなふうに言われてびっくりした。

即刻、学生時代の知人に聞いてみた。

「私って、変わっているかなあ?」と。

「はい、変わってます。そうとうに」と言われてしまった。

たしかに、私は自宅を人形劇場にしてしまっている。

30席しかない小さな劇場で、「お金をかけていない」というのが一目瞭然。

でも、十年もかけてお金が貯まる度に少しずつ劇場ふうにリフォームをしてきた。

老後の経済生活も顧みずに。昨年、やっと完成させた。

一応、リビングとダイニングキッチンと仕事部屋の3室の仕切りをはずし、

庭から、劇場に入るウッドデッキを作り、

そこに全開放式のオープンドアをつけ(これが高かった!)、

ホリゾントと中幕、袖幕、天井に照明のバトンを2本、

映像も使おうとプロジェクター台も設置した。

そこに目下は、真っ白な舞台をたててある。

というのも、昨年から、カフカ人形劇、「変身」を3回ほど上演してきたのだ。

12月に4回目の公演を行う。

たぶん、そこで力尽きる予定なので、しばしお休み、ということになると思うが、

これまでは昼夜2回の公演がいずれも満席で、それなりに人気だった。

HPを通じて予約がある度に、

一人で、せっせつと、地図付きの予約確認ハガキなるものを送ってきた。

さて、このカフカの「変身」。

「ある朝、目覚めると、一匹の巨大な虫になっていた」で始まるあの話だ。

絵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20代の頃に読んだ時は、絶望の果てに虫となった青年の観念小説と思っていたが、

再読して驚いてしまった。

虫になったザムザ青年が、父が今こういっている、妹が泣いている、母親が悲鳴を上げたなど、

自分が虫になったことで、巻き起こる家族内の混乱と変貌、

その実況レポートをしているような作品なのだった。

ザムザ青年の哲学的自問自答は皆無。

えっ!これが、実存主義文学の先駆け?絶望の文学?

私としてはむしろ、これって介護小説ではないのかしら、と思ってしまったのだ。

振り返れば、この本を読んだ当時、私は20歳。

「実存主義」とか「絶望」とか「ニヒリズム」という言葉が流行していた。

いろんな思い込みがこんがらがって、自分の記憶にインプットされてしまっていたらしい。

読者はその時の自分の関心事に引き寄せ、読みたいように勝手に読んでしまうものらしい。

ともかく、再読で衝撃を受けたのは、この小説の最後の場面。

巨大な虫になったザムザ青年が、

父親の投げつけたリンゴの一撃が原因で、死んでしまったその日。

虫の介護から解放された家族は、みんなでピクニックに出掛けるのだ。

そうかあ、と思った。

ザムザ青年に依存しきっていた家族は、彼が虫に変身して役立たずになったら、

自力で人生を切り開いていく力を得たのだった。

家族のために頑張って生きねばならない、

と思い込んでいた彼の自己犠牲的考えは、ただちに妄想と化した。

「変身」が絶望の文学と呼ばれるのは、この結末にこそあったのだと知った。

それで、私は、

テーマを「ある朝、目覚めると息子が虫になっていた」という家族の視点から脚色し、

どんなにリアルに演じても、

なぜかシュールになってしまう人形劇で上演することにしたのだった。

この人形劇を完成させるのに1年。

そして上演に一年。

正直言って、もうへとへとになった。

思えば、私がこの人形劇場なるものを作ろうとしたのは、

19世紀のフランスの女性文学者で、

自由奔放な生き方をしたジュルジュ・サンドにハマっていたからだった。

彼女は、人形劇狂いの息子モーリスのために、自分の邸宅に人形劇場を作った。

彼女は、男装したり、葉巻を吸ったりして世間の顰蹙を買ったりはしたが、

自分の生きたいように生きた。

フランスの文学的サロンのマドンナとなり、

たくさんの小説を残し、

そうそう、一番、有名なのはショパンの恋人であったということ。

そのジョルジュ・サンドにあこがれて……と、ここまで書いたら、

思わず首を傾げてしまった。

そのジョルジョ・サンドが、なんで「変身」になっちゃったのか、

おまけになんでこんなにへとへとなんだろうか、と。

久田さんH200

ひさだめぐみ★プロフィール

1947年北海道生まれ。上智大学文学部中退後、ノンフィクションライターとして活躍。『サーカス村裏通り』で作家デビュー。『フィリッピーナを愛した男たち』で第21回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『息子の心、親知らず』で平成9年度文藝春秋読者賞受賞。『母親が仕事をもつ時』『トレパンをはいたパスカルたち』『今が人生でいちばんいいどき!』など著書多数。
個人事務所のサイト花げし舎