野菜の天ぷら、蕗の煮物、甘辛く炊いたザリガニ……

大皿にどかんと盛られてテーブルに

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テーマは食卓? 難しいなあ…(笑)。

うちは、一人前ずつおかずとご飯があって、

家族揃っていただきます、っていう食卓じゃなかったもの。

私が生まれたのは群馬県の館林。

父は学校の先生で、母は駅前商店街で袋物の店を開いてました。

私は4人姉弟の一番上で、弟2人と妹1人の6人家族。

表通りはお店だけど、裏の勝手口に回れば、手のあいた店員さんや、

近所のおじさん、おばさん、知らないおじさん、おばさん…。

時間のある人が入れ替わり立ち替わりやってきて、

みんなでワイワイガヤガヤご飯を食べてた。

食卓といって思い出すのは、あの賑やかな雰囲気ですね。

かまどに大釜でご飯が炊いてあって、

土間のテーブルには、野菜の天ぷら、蕗の煮物、鮒の甘露煮、

皮ごと半分に切って塩ゆでしたじゃが芋、野菜の煮付け、甘辛く炊いたザリガニ……。

素朴な料理が大皿にどかんと盛られてどんどんどん!と置いてあった。

夏にはキュウリがいっぱい採れるから、

半分に折って塩で揉んで、ぶっかき氷と一緒にドサッと盥(たらい)に入れてありました。

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田舎はだいたい、どんぶり勘定(笑)。

食べ切れなければ捨てますってくらい、いっぱい作るんです。

しかも大皿料理だから、何人でも食べられる(笑)。

素材はどれも、その辺でとれたものばかり。

新鮮でほんとうに美味しかった。

賄いのおばさんもいたけど、時間のある人が集まってササッと作ってましたね。

今日はうどんって時は、大釜にガンガンお湯を沸かして、

手のあいた人がちゃちゃちゃっと小麦粉捏ねて、煮込みにしたり、釜揚げにしたり。

子供たちも、「早く食べちゃいな」「はーい」って感じでね。

大人に交じって自分でご飯とお味噌汁よそって、

お皿に好きなもの好きなだけ取って食べてた。

当時の親は「これ食べないと大きくなれないよ」なんて言ってる余裕はなかった。

友達が、今日はお父さんいない、お母さんいないって言うと、

じゃあうちに来なよって連れてきたり、

今日のおかずはこれだよ、うちはこれだよって言い合って、

美味しそうなほうへ食べに行ったり(笑)。

昭和30年代。日本はまだそんなに裕福じゃなくて、

男も女も働いてご飯食べるのが当たり前だと思ってました。

子供たちもよくお手伝いをしたし、

近所にはよその子でもきちんと叱ってくれるおじさんやおばさんたちがいた。

最近よくダイバーシティということが言われますが、

あの頃の日本は、いろんな人を受け入れて、

お互いに助け合わないと暮らしていけなかった。

商店街ということもあったかもしれないけど、

家族を超えて拡大家族のようでした。

医者として働いていたとき、私は心臓外科ですから、

人工心肺の機械だとか人工心臓をつくるとか、連携するチームは多かったけど、

宇宙開発となるとそれ以上。

国際協力なしにはできない分野ですからね。

それはもういろんな人と、いろんなチームを組んでやりましたが、

私はあまり違和感を感じたことがないんです。

人見知りもあまりしない。

子供の頃の環境が影響してるのかもしれませんね。

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提供:宇宙航空研究開発機構(JAXA)

宇宙飛行士を目指したのは、宇宙から地球を見てみたかったから。

壮大な自然を見ることで視野が広がり、

考え方も深くなるんじゃないかと思ったのが最初のきっかけです。

でもね、地球にいても、たとえば水平線から昇る太陽だとか、

自然界のすばらしい景色を見ると、心が洗われて、

自分の考えてることなんてちっぽけだなあって思うことはあるでしょ?

視野が広がるという意味ではむしろ、自然より人だった。

私は科学飛行士で実験が多かったので、その実験テーマを理解するため、

ライフサイエンスや医学だけじゃなく、

材料科学、流体科学、技術系の検証や通信系とか、

いろんな分野の研究者や技術者と話し合う必要があったんです。

すると、「あ、こんな考え方があったんだ」とか

「これまでどうして、私はこの面白さに気づかなかったんだろう」とか…。

山に登るとき、頂上という1つの目的に対していろんなアプローチを検討するように、

宇宙飛行士も、宇宙での使命を120%達成して

ミッションコンプリート(任務終了)という頂上に到達するため、

言葉も違う、職業も違う、考え方も違う、いろんな文化圏の人と、

いろんな観点から話し合いながら一番いい道を探っていく。

その過程が、私は一番面白かったですね。(続く)

(インタビュー:2015年10月22日)

むかいちあき★プロフィール
1952年群馬県館林市生まれ。東京理科大学副学長・宇宙航空研究開発機構技術参与・宇宙飛行士・医師(医学博士)。1977年、慶應義塾大学医学部卒業。同年、医師免許取得。1988年、同大学博士号取得。同大学医学部外科学教室医局員として病院での診察に従事。1985年、NASDA(現JAXA)より搭乗科学技術者として宇宙飛行士に選定される。アジア初の女性宇宙飛行士として1994年、1998年と2度の宇宙飛行を行い、微小重力下でのライフサイエンスおよび宇宙医学分野の実験を実施。2005年より2007年まで、国際宇宙大学の教授として、国際宇宙ステーションでの宇宙医学研究ならびに健康管理への貢献を目指した教育を行う。2015年4月、東京理科大学副学長に就任。