(長女=2歳8カ月)

世間では「魔の2歳児」とか「いやいや期」とか言われる時期で。

2歳になったとき「これからは大変になるんだろーなー」と

うすらぼんやり考えていたのですが、

2歳の前半は意外と今まで通りで、

「僕に似て2歳の頃から聞き分けがいいな、うん」

なんて思ってました。

しかし、春先ぐらいから(娘は12月生まれ)どうも様子がおかしい。

今までなら、大好きな牛乳や納豆をチラつかせれば、

すぐに目を輝かせて飛びついていたのに、

「アンパンマンの(カップに入った)ぎゅーにゅーがいいの」

「なっとーいらない、つるつる食べる」

など、その時の気分や好みを訴えるようになりました。

気分が乗らないときなんかは何を見せても泣き止まず、

ただただ「やだやだやーだーー!!ちちやーだーー!!!」

と、よく漫画で見かけるような仰向けバタバタスタイルで吠え続けます。

ふむふむ、お父さんじゃなくてお母さんの方がいいのか

と思って母親に応援要請しても、

「やーだー!!ママやーだー!!」

2択のどちらも正解じゃないクイズ。

難問。

毎日毎日、すべてのことがそんな感じで、

「ゼリー食べる」と言ってるのでゼリーを持ってくと

「ゼリーいらないチーズなの」

チーズを持ってくと「チーズじゃないー、あーあーあーん!」

と大泣きする始末。

答えがなく、食べてももらえず、家事がはかどらず、

自分たちの生活のリズムも崩れる。

そんな日々に夫婦でイライラ。

イライラが子供に伝わって大泣き。

そんなダウンスパイラルの中、

「これが魔の2歳児ってやつか、それともわがままな母親に似たか」

なんてこっそり心の中で思って日々をやりすごしてました。

でも、こんな状況が一生続いたら困るので、

娘と二人きりのときに、自分なりの方法を考えてみました。

結論としては「取り合わないで諦めさせる(泣き疲れさせる)法」。

とりあえず大泣きしたら距離をとって、

のんびりコーヒーを飲んだり、ごはんを食べたり、

自分のペースで過ごし、娘に合わせないようにしました。

二人きりなので誰も子供に取り合わない。

すると、今までの「また泣いてる、どーしよー、あー(汗)」

っていう心境も少しずつ、

「お、泣いてるな、今日も元気だ(喜)」みたいな、

ちょっと余裕な感じに変わってきます。

泣いてる娘をアテにしてコーヒーを美味しく飲めちゃいます。

なんで今まで泣いたくらいで慌ててたんだろ、って感じです。

そして子供の方も「あれ?泣いてるのにフォローに来ないぞ。

しかも美味そうなもの喰ってやがる」

みたいに思うかどうかわかりませんが、

突然、はたっと泣き止み、走りよってきて、

「ユキもたべるー」とか言い出すので、一緒に食べることができます。

そこからさらに掘り下げていくと、

子供が泣いてるとき、

困ってるのは子供だけじゃなくて親もなんだな、ってことで。

困ってる人が集まっても解決しないのかな、って最近は考えて、

大人の余裕みたいなものをできるだけ子供に提供して、

安心しなよ、っていう想いで接しています(いつもじゃないけど)。

たしかに大人でも、

困ったときに一緒に困って焦られても余計に不安になるだけで、

それよりはふむふむなるほどそうですか、

って落ち着いてる人の方が安心するよなー、って。

それから、子供が泣いてるのって、

今までは親から与えられた世界(牛乳にせよシャボン玉にせよ)

満足できてたんだろうけど、

2歳も半ばになると「親の敷いたレールなんて歩けねえよ」

ってことの始まりなんですかね。

自我?アイデンティティ?

そういうふうに思うとこないだまで赤ちゃんだと思ってたわが子も

大人の階段上ってんだなー、と、

ヤダヤダバタバタを見ていても目頭が熱くなります。

めんどくさいけど。

そしてふと気が付くと、手足がぐんぐん伸びてきて。

体がなんか人間のそれに近づいてきて。

「ゆきはおねえちゃんだから赤ちゃんとあそんであげたの」

なんて生意気な発言が飛び出し、僕をびっくりさせます。

ものごとを「○○だから××」ってロジカルに考えてるんでしょうかね。

赤ちゃんとほんとに遊んであげてるお姉ちゃんなんでしょうかね。

すごいですよね、2歳児。

かと思えば、「おしりー」とか言って裸で走ってるんですけど。

「魔の2歳児」なんて不名誉な通り名、かわいそうですよね。

「大人の階段1段目」とか、「自我の2歳児」とか、どーでしょ?