行動の判断基準は心

 

学校のテストでいい点数を取ってほしい、私立の中学に入学させたい、

いい高校に受かってほしい、いい大学に受かってほしい、

いい会社に入ってほしい、社会で勝ち組になってほしい、

そういう想いでわが子に「学力」をつけてほしいと思う方は多いでしょう。

(私も3人の息子がいますので、そういう気持ちはとてもよくわかります)

学校のテストや資格試験の問題であれば、

答えが決まっている場合がほとんどです。

どのパターンの問題か、

どの問題にどれくらいの時間をかけるかといった判断をする程度なので、

大した判断力はと求められません。

ですから、学校のテストや受験をクリアする程度の「学力」を

子どもに身につけさせるのは、実はそれほど難しいことではないのです。

しかし、普段の生活や社会に出てからは、行動する際に、

豊富な知識、論理的思考力で導き出した結論を、

やるかやらないかの判断をしなければなりません。

テストでいい点をとる、受験をクリアする「学力」では足りないのです。

「他の人がやっているから…やる」

「法律に触れないから…やる」

「怒られるから…やらない」

といったものではなく、

自分自身の「心」に問うた判断が求められるのです。

そう、人間が行動する際の行動基準は「心」なのです。

「頭」がいい人は、

法の抜け道を見つけて法を犯さずに大金を稼ぐ方法を思いつくかもしれません。

その結果として

多くの人が損をすることを知ったとしてその方法を実行するかどうか、

これは「頭」ではなく「心」で判断するのです。

●老人を集めて、正常な判断ができない状態にして高額な健康食品を売りつける商法。

●金持ちの税金対策くらいしかメリットがない投資用新築マンションを、空き室ゼロ、家賃下落なし、金利最低限で計算した数字を堂々と広告に使っている不動産会社。

●不要な、過剰なリフォームを老人に押し売りするリフォーム会社。

●無知な高校生を言葉巧みに働かせるJK(女子高生)ビジネス。

●広告と実物が全く違うWeb販売・通信販売会社。

●倒産するのが解ってて、将来性のある中小企業から貸し剥がしをする金融機関。

●注文していない家に商品を送りつけて振り込ませる送りつけ商法

●恋人のふりをして高額なローンを契約させるデート商法

●大量のオペレーターをサクラとして雇い高額な請求をする出会い系サクラサイト商法。

●本来信用度が低くローンが組めない層に住宅を売って、金利優遇期間を超えたら破たんする家庭が続出したサブプライムローン。

●海外の児童を含む安く過酷な労働力を求めるグローバル企業。

●国家公務員の試験に合格した頭の良い(と思われている)役人たちが作り上げた、自分たちに都合の良い「天下り」という仕組み。

中にはグレーゾーン、違法なものもありますが、

上司に言われたから、会社の命令だからと

このような組織で普通に働いている人は世の中にたくさんいるでしょう。

古い話ですが、オウム真理教の元幹部たちはみな驚くほど高学歴でした。

最近でもニュースでは高学歴の優等生(元優等生)が起こした事件が後を絶ちません。

勉強はできるのに…

学力はあるのに…

論理的思考力は高いのに…

心が育っていないから、人間らしい判断ができないのです。

環境に合わせて育つ

 

今の子どもたちを取り巻く環境は、50年前の人が見たら異常です。

現に、子育てを終えたシニア世代の方の相談に乗ることも多いのですが、

とても心配しています。

「孫が、母親と塾(中学受験の進学塾)に殺されそうです」

「我が娘ながら狂ってます。背中をバンバン叩いて、

泣いている孫にドリルをさせています。」

「孫がゲームにとりつかれています。気がつくといつもゲームをやっています」

「習い事と勉強で、毎日全く遊ぶ時間がないんです」

「孫が食事中もずっとスマホをいじっているんです」

「幼児にスマホをいじらせるのって、何か間違っていませんか」

といった声をよく聴きます。

「生まれた時からいつもついているテレビ」

「就学前から浅い理解しかできない先取学習を強要される」

「母国語習得を軽視した早期英語教育」

「フラッシュカード、速読等の高速反射トレーニング」

「知育DVD」

「低俗なテレビ番組や暴力的な画像や映像を垂れ流すニュース」

「殺人動画さえ容易に見ることのできるネット世界」

「バーチャルな仮想世界体験(テレビゲーム)」

「自主的な外遊びの不足」

「習い事地獄」

「お粗末な作業レベルの量だけは多い宿題(計算ドリル・漢字ドリル・音読)」

「中学受験のための作業的学習(高速計算・大量暗記・パターン学習)」

健全な人間の感性、心が育つ環境とはとても言えません。

そういう時代だから…という意見も聞きますが、

生まれてくる子どもは50年前と変わらず、

真っ白な状態で生まれてきます。

そして、何年もかけて環境に合わせて育つのです。

育ってしまった大人と、これから育つ子どもでは違うのです。

まさに育っている最中の子どもたちを取り巻く環境が、

「健全な人間らしい心」を必要としない環境だったら、

子どもたちは「健全な人間らしい心」を持たずに育っていくのです。

だから外見は普通、それどころか優秀な子たちが、

何かの拍子に「キレる」「暴力を振るう」

「残虐な犯行に及ぶ」のです。

事件を起こすようなケースは稀でも、

思春期に家族に暴言を吐いたり、物を壊す、暴力を振るう

というのはよく聞きます。

これを反抗期でかたずける方もいますが、

それは大間違いです。

なぜなら反抗期とは理論的な思考ができるようになった時期に、

それまで受けてきた理不尽な仕打ちに意を唱える現象だからです。

小さい頃から子ども本来の成長のテンポを守り、

理不尽なことを強要しないで育て、

子ども自身が納得しながら過ごした家庭の子には、

家庭内での反抗期など出てこないからです。

逆に、小さい頃から子ども自身が納得できないことを

親という立場で強要してきた家庭は、

大変な反抗期を味わうことになるのです。