子供のときに食べた味は
四季折々の行事と結びついて原体験に…
私が生まれ育ったのは秋田市の土崎という港町。
毎年7月20日と21日に、土崎神明社の例祭で
国の重要無形民俗文化財でもある「土崎港曳山まつり」が行われます。
今は祝日(海の日)ができて変わりましたが、昔は20日がちょうど終業式。
夏休みとお祭りがセットになった、ものすごく楽しみな日でした。
20日には子供たちも山車を引かせてもらえるので、
学校から帰ると町内の山車を引っ張り、それから町をうろうろする。
これが楽しいんです(笑)。
曳山が集まる本町通りには、かなりの数の夜店がずらりと立ち並び、
綿アメにするかチョコバナナにするか…(笑)、
弟たちとあれこれ迷いながら見て歩くのは、ほんとうに楽しかった。
家に戻れば、近所の人や親戚の人や、いろんな人が入れかわり立ちかわりやってきて、
賑やかにお酒を飲んだり、食事をしたり。
祖父や父が土崎神明社の奉賛会の会長を務め、
お祭りも中心になってやっていたので、
人一倍身近に感じられたのかもしれません。
お祭りの日のご馳走は、刺身とかキンキの煮付けとか、
港町だから魚料理が多かったけど、必ず出るのが「カスベ」。
エイの干物を煮付けた料理で、子供は独特の匂いがちょっと苦手だけど、
大人はこれを肴に酒を飲む。
どこの家でも作るから、町中にカスベの匂いが漂い、
俗にカスベ祭りと言われるほどです。
21日は、すべての曳山が南の御旅所から北の御旅所まで移動したあと、
降臨した神様がお帰りになるクライマックス。
最後は「戻り曳山」といって夜中の12時ぐらいまでかかってそれぞれの町内へ帰ります。
笛や太鼓、摺鉦も哀調を帯びたもの悲しい音色に変わる。
子供の頃、少しずつ遠ざかっていく音を布団の中で聞いていると、
お祭りは終わったんだなあって、寂しい気もちになったものです。
まあ、翌朝目が覚めれば夏休みで、たちまち元気になるんですけどね(笑)。
秋田の夏は短くて、すぐに秋がくる。
すると夕食は鍋料理が多くなる。
八郎潟で捕れた鴨が届けば、その日は「火焼き」、いわゆる鴨鍋ですね。
新米が採れると、ご飯を軽く搗いて丸めただまこ餅を、
比内鶏やごぼう、舞茸、ねぎなんかと一緒に煮た「だまこ鍋」、
ハタハタを使った「しょっつる鍋」…いろいろありました。
祖父母も両親も、行儀をいうより賑やかに笑って食べるのが好きでしてね。
工場を経営していて会社も敷地内にあったので、
祖父も父もほとんど毎日一緒に食べてました。
姉と私と弟と妹の四人の兄弟が、誰それちゃんがドッジボールで泣いたとか、
自分がすべってころんでみんなに受けたとか…(笑)、
そんなことを競って話し、大人たちは笑って聞きながら食べてた。
いつも家族以外にいろんな人が一緒に食べてましたね。
従業員の人とか、親戚の人とか、お客さんのような人とか(笑)。
とにかくだだっ広くて古い家で、
台所の板の間だけで4間×4間(約52㎡)以上あったから、
そこにちゃぶ台たくさん並べて。
ほんとうに賑やかでした。
大晦日には「年取りの会」というのをやる。
お正月よりこっちのほうが盛大でした。
3時ごろから順番にお風呂に入って体を清め、お出かけ用の服を着て、
5時ぐらいから一人一人に用意されたお膳につく。
尾頭付きの魚、ハタハタ寿司、甘いなます…。
手伝いの人も大勢呼んで準備してましたが、母は大変だったと思います。
当主である父は、全員のお膳に「やせうま」…お年玉のことをそう言うんですけど、
それを置くのが習わしでね。私はそっちのほうが嬉しかった(笑)。
春には、家族みんなでお花見です。冬が長い秋田では、
土が見えない季節が3カ月も続くから、春が来ると嬉しくてね。
昔はゴールデンウイークの頃がちょうど花見のシーズン。
お弁当とゴザを持って毎年、千秋公園にいってました。
今でも桜が咲き始めると、なんだかそわそわ落ち着かない気分になる。
早く花見に行かなければって(笑)。
都会育ちの妻に笑われるんですけどね。
父も母も亡くなって、結婚してからの時間のほうがずっと長くなり、
今ではもうすっかり妻の味に馴染んでます。
母の料理よりずっと美味しいと思いますよ。
でも、子供のときに食べた味は四季折々の行事と結びついて、
私の原体験になっている。
いくつになっても懐かしいものですね。
(インタビュー:2015年4月6日)
ぜにやまさみ★プロフィール
1949年秋田県生まれ。1973年東北大学教育学部卒業。同年4月文部省入省。1997年大臣官房総務課長。1998大臣官房審議官。2000年内閣審議官。2001年文化庁次長。2003年文部科学省生涯学習政策局長。2004年初等中等教育局長。2007年文部科学事務次官。2009年東京国立博物館長に就任。