窓からキラキラ夜景が見えるレストラン
普通の生活がとても不思議に…
母子家庭にとって、子供が保育園に行かないというのはアウトなの。
だって働けないんだもん。食べていけない。
友達三人で編集プロダクションを立ち上げたとき、息子の連もつれて行ってたのね。
そしたらみんな怒りだした。「連をなんとかしてって」(笑)。
じっとしてないし、叫ぶし、泣くし、喚くし…とにかく大変な子だったの。
それで保育園に入れたら、今度は登園拒否でしょ。
そんな話を友達にしてたら「サーカスにでも行かなきゃ人生変えられないよ」って
言われて、そのとき頭の中に「草原に大きなテントがやってきて…」という
ブラッドベリの世界が広がった。サーカス、いいかもしれないなあって(笑)。
さっそく本屋さんで『サーカスの時間』という本橋成一さんの写真集を見つけて、
彼のアドバイスでキグレサーカスに電話をしたら「いつでもおいで」って感じでね。
勤めてた広告代理店もフリーでやってたリクルートの仕事も辞めて、
友達の車に布団2組積んでもらって、
木更津で興行中のキグレサーカスに行ったんです。
サーカスって、後ろに1万㎡ぐらいのサーカス村があるのね。
そこに3坪ぐらいのテントがいっぱいあって、それぞれ家族で暮らしてる。
私たちのテントは4畳半ぐらいでしたが、
連は「テントのお家だ」ってぴょんぴょん跳びはねてました(笑)。
私は翌朝からすぐ仕事。
炊事場で、じゃが芋100個の皮剥きとか、玉ねぎ80個の皮剥きとか、下働き。
「キャベツもっと細く切れ!」なんて怒られながら(笑)。
連は、目が覚めたら、テーブルの上に置いてあるりんごを象さんにあげにいって、
それから食堂に来てごはん食べて、一日中遊んでた。
あの頃、8人ぐらいの子供集団があって、遊んだり、喧嘩したり、
サーカスじゅう跳び回ってました。子供たちはサーカス観るのも自由なの。
でも、しばらくして連だけ席を決められた。
「○○ちゃんのお母さん頑張って!」とか叫ぶから(笑)。
みんな独身で通して頑張ってるのに困るって言われて、後ろの隅の席へ。
その席の番号、大きくなっても覚えてたのにはびっくりしましたけど。
サーカスでは、子供たちはみんな長靴で過ごすのね。連も一年間で長靴5足(笑)。
あれは大分だったかなあ。サーカスに入って半年ぐらいたったころ。
連が「フランス料理食べる、フランス料理食べる」って、うるさく言ってたのね。
それで「いいよ、じゃあ食べに行こう」って、休みの日に連れていったの。
フランス料理を食べるってことは、まあ、洋食を食べるってことなんですけどね。
高いビルの上のレストランに行ったんですよ。
連はハンバーグ注文して、デザートまで付けた。
サーカスではハンバーグ作らないからね。
私? 何食べたんだろう…。海老フライか何かだったかなあ。
窓からキラキラ、キラキラ夜景が見えるレストランでね。
それは久しぶりの普通の生活なんだけど、なんか、とても不思議な気がしましたね。
連なんてすごいびっくりして、超興奮してた(笑)。
サーカスの子みたいに丸坊主にして、ちっちゃくて、可愛くてね。
そのときの光景は、今でも忘れられない。
戻ってからも「フランス料理食べた」って、みんなに自慢してました(笑)。
サーカスで暮らそうと決めたのは、
本橋さんの「子供には天国のような場所だよ」というひと言がすごく大きかった。
あの頃の息子、幸せに見えなかったから。
保育園に行くとすごく泣いて、そういうのがとても情緒不安定に見えたのね。
それで自分の独特の生き方とか、離婚とか、この子にとっていいことなんにも
ないじゃんって思ったら、なんだかいやんなっちゃったの、人生が。
だから幸せにしたかった。幸せな状態にしたかったのかな。
なんでそこまで思いこんじゃったんだろう?(笑)。
今、息子の二人の子供たち見てると、4歳ってそんなもんだって分かるんだけど。
あのときはそう思えなかった。
大きくなった息子に「サーカスで暮らしてたときが人生で一番幸せだった」と言わ
れたときは、げっ!? って思ったけど(笑)。
でも、私も風の中でただじゃが芋の皮剥いてればいいっていうの、結構好きだった。
先のことは何も決めない、人生のお休みのような時間。
ブラッドベリのサーカスのイメージとはかなり違ってたけど、幸せな一年でした。
(インタビュー:2015年2月6日)
ひさだめぐみ★プロフィール
1947年北海道生まれ。上智大学文学部中退後、ノンフィクションライターとして雑誌を中心に活躍。『サーカス村裏通り』で作家デビュー。『フィリッピーナを愛した男たち』で第21回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。子どもの不登校に関する親子同時ドキュメント『息子の心、親知らず』で平成9年度文藝春秋読者賞受賞。『母親が仕事をもつ時』『トレパンをはいたパスカルたち』『おかえりなさい、おかあさんワーキングマザーと子どもたちの30のお話』など著書多数。