窓からキラキラ夜景が見えるレストラン

普通の生活がとても不思議に…

幅950

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母子家庭にとって、子供が保育園に行かないというのはアウトなの。

だって働けないんだもん。食べていけない。

友達三人で編集プロダクションを立ち上げたとき、息子の連もつれて行ってたのね。

そしたらみんな怒りだした。「連をなんとかしてって」(笑)。

じっとしてないし、叫ぶし、泣くし、喚くし…とにかく大変な子だったの。

それで保育園に入れたら、今度は登園拒否でしょ。

そんな話を友達にしてたら「サーカスにでも行かなきゃ人生変えられないよ」って

言われて、そのとき頭の中に「草原に大きなテントがやってきて…」という

ブラッドベリの世界が広がった。サーカス、いいかもしれないなあって(笑)。

さっそく本屋さんで『サーカスの時間』という本橋成一さんの写真集を見つけて、

彼のアドバイスでキグレサーカスに電話をしたら「いつでもおいで」って感じでね。

勤めてた広告代理店もフリーでやってたリクルートの仕事も辞めて、

友達の車に布団2組積んでもらって、

木更津で興行中のキグレサーカスに行ったんです。

サーカスって、後ろに1万㎡ぐらいのサーカス村があるのね。

そこに3坪ぐらいのテントがいっぱいあって、それぞれ家族で暮らしてる。

私たちのテントは4畳半ぐらいでしたが、

連は「テントのお家だ」ってぴょんぴょん跳びはねてました(笑)。

私は翌朝からすぐ仕事。

炊事場で、じゃが芋100個の皮剥きとか、玉ねぎ80個の皮剥きとか、下働き。

「キャベツもっと細く切れ!」なんて怒られながら(笑)。

連は、目が覚めたら、テーブルの上に置いてあるりんごを象さんにあげにいって、

それから食堂に来てごはん食べて、一日中遊んでた。

あの頃、8人ぐらいの子供集団があって、遊んだり、喧嘩したり、

サーカスじゅう跳び回ってました。子供たちはサーカス観るのも自由なの。

でも、しばらくして連だけ席を決められた。

「○○ちゃんのお母さん頑張って!」とか叫ぶから(笑)。

みんな独身で通して頑張ってるのに困るって言われて、後ろの隅の席へ。

その席の番号、大きくなっても覚えてたのにはびっくりしましたけど。

サーカスでは、子供たちはみんな長靴で過ごすのね。連も一年間で長靴5足(笑)。

あれは大分だったかなあ。サーカスに入って半年ぐらいたったころ。

連が「フランス料理食べる、フランス料理食べる」って、うるさく言ってたのね。

それで「いいよ、じゃあ食べに行こう」って、休みの日に連れていったの。

フランス料理を食べるってことは、まあ、洋食を食べるってことなんですけどね。

高いビルの上のレストランに行ったんですよ。

連はハンバーグ注文して、デザートまで付けた。

サーカスではハンバーグ作らないからね。

私? 何食べたんだろう…。海老フライか何かだったかなあ。

窓からキラキラ、キラキラ夜景が見えるレストランでね。

それは久しぶりの普通の生活なんだけど、なんか、とても不思議な気がしましたね。

連なんてすごいびっくりして、超興奮してた(笑)。

サーカスの子みたいに丸坊主にして、ちっちゃくて、可愛くてね。

そのときの光景は、今でも忘れられない。

戻ってからも「フランス料理食べた」って、みんなに自慢してました(笑)。

P4_イラスト

 

 

 

 

 

 

 

 

サーカスで暮らそうと決めたのは、

本橋さんの「子供には天国のような場所だよ」というひと言がすごく大きかった。

あの頃の息子、幸せに見えなかったから。

保育園に行くとすごく泣いて、そういうのがとても情緒不安定に見えたのね。

それで自分の独特の生き方とか、離婚とか、この子にとっていいことなんにも

ないじゃんって思ったら、なんだかいやんなっちゃったの、人生が。

だから幸せにしたかった。幸せな状態にしたかったのかな。

なんでそこまで思いこんじゃったんだろう?(笑)。

今、息子の二人の子供たち見てると、4歳ってそんなもんだって分かるんだけど。

あのときはそう思えなかった。

大きくなった息子に「サーカスで暮らしてたときが人生で一番幸せだった」と言わ

れたときは、げっ!? って思ったけど(笑)。

でも、私も風の中でただじゃが芋の皮剥いてればいいっていうの、結構好きだった。

先のことは何も決めない、人生のお休みのような時間。

ブラッドベリのサーカスのイメージとはかなり違ってたけど、幸せな一年でした。

縦500

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(インタビュー:2015年2月6日)

ひさだめぐみ★プロフィール

1947年北海道生まれ。上智大学文学部中退後、ノンフィクションライターとして雑誌を中心に活躍。『サーカス村裏通り』で作家デビュー。『フィリッピーナを愛した男たち』で第21回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。子どもの不登校に関する親子同時ドキュメント『息子の心、親知らず』で平成9年度文藝春秋読者賞受賞。『母親が仕事をもつ時』『トレパンをはいたパスカルたち』『おかえりなさい、おかあさんワーキングマザーと子どもたちの30のお話』など著書多数。