疎開先へ向かう列車の窓から投げた蒸しパン

あとで死ぬほど後悔することに…

樋口さん縦500

小学6年の夏。集団疎開先の長野へ向かう列車の窓から投げ捨てた

まっ白な蒸しパンのこと、今でも鮮明に覚えています。

あとで、死ぬほど後悔することになるんですけどね(笑)。

当時は長野まで6、7時間かかったから、みんなお弁当を持っていったんです。

最後の一食ですからね。どの親御さんも精魂込めて作ったはず。

私も、お弁当のことは忘れてしまったけど、

多分母がいろいろ作ってくれたと思うんですよ。

それでお腹がいっぱいになってしまった。

だから、母がお砂糖を添えて持たせてくれた大きな蒸しパン、

全部食べることができなかったんです。

友達にも分けたけど、みんなお腹がいっぱいで食べられないわけ。

翌朝から疎開先での生活だし、ものの腐りやすい時期でもあるし…。

そこで子供なりにすごい決心をして、上田駅を過ぎた辺りで窓から投げた。

そのあと何度、白く輝く蒸しパンのことを思ったことか(笑)。

幅300

 

 

 

 

 

母に悪いとか、そんなんじゃないんです。子供ですからね。

ただもう、あの食べものが惜しかった(笑)。

ずっと夢にみるくらい。

私たちが疎開したのは志賀高原の麓にある上林温泉ホテル。

お湯はふんだんに出るし、トイレは水洗だし、

当時の住環境としては実家よりよかったくらい。

でも、食べ物がないことは全国共通でね。

6年生は集団疎開の最高学年で、まさに食べ盛り。

量は中学生や高校生にかないませんが、

まだ精神的に思い悩むこともなく、食欲だけで生きてるような年頃ですからね。

この時期の飢餓体験は辛い。

食べ盛りの子が集団でいると、

飢餓感が増幅されて実際より大きくなるんですね。

最低限のカロリーは足りていたはずですが、こちらにすれば飢餓状態。

何を食べても最上の味ですよ。

もっとあればなあって思うばかり。

中でも味噌ダレのすいとんは絶品でした。

肉が入ってない水餃子のようなものに、

味噌がベースのトロリとしたタレが絡めてあるのですが、

何かが発酵したような甘みと塩辛味が調和して、

あれは本当に美味しかった。

食事はよく噛んでできるだけ時間をかけて食べるようにしてましたが、

そのすいとんが出た日は、

食べ終わるとみんな一斉にお皿を持って、舌で舐めてさらうんです。

誰が最初に勇気をもって舐めたのか分からないけど、

ふと気づいたらみんな舐めてた。

私が通ってた目白の小学校、当時は高田第五小学校といいましたが、

公立だけど進学率がいいので越境入学する人が大勢いたんです。

本物の学習院の相向かいにあったので平民学習院とも呼ばれ、

東京近郊の中流家庭で育った行儀のいい子供たちが多かったんですけどね。

そんな子供たちが、すいとんを食べ終えると一斉にお皿を持って舐め始める。

姿勢が悪かったり、変なお箸の持ち方をしたりすると注意する先生も、

皿を舐めるという作法については何も言いませんでした。

見て見ぬ振りでしたね。

樋口さんサブ350

 

 

 

 

 

 

 

 

私はいま82歳ですが、小学3年で太平洋戦争が始まり、

幼いとき少し食べたことがあるチョコレートやケーキ、あんころ餅…

そうしたものが半年、1年のサイクルで無くなっていって、

6年の夏には集団疎開して、

戦争が終わったのが中学1年の夏。

この世代は、思春期前期の食べ盛りを戦争で覆われているんです。

同世代の女で私の知る限り、

料理の下手な女、少なくとも料理の嫌いな女は見たことがない。

全員、料理好きです。

で、みんなそこそこの腕をもっている。

それはね、「飢え」からきてると思うんです。

みんな食べ物に異常に興味を持ってるから、それは上手くもなりますよ(笑)。

われわれの世代にとって、戦争というのは「飢え」だったと思います。

お腹いっぱい食べられないことが、どんなに辛いか。

親にとっても、子供を満腹にしてやれないのは辛かったと思います。

だから私にとって平和とは、食べ物があるということ。

たとえ目の前で戦争をしていなくても、

飢えた人がいる間は平和と言えない。

そう思えるほど私は食べ物に執着して育ち、食い意地を張らせて、

中年デブから老年デブになり、メタボを気にしながら人生を終わるのだと思っています。

(インタビュー:2014年10月9日)

 

ひぐちけいこ★プロフィール
東京大学文学部美学美術史学科卒業。東京大学新聞研究所本科修了後、時事通信社、学習研究社、キヤノン株式会社を経て、評論活動に入る。内閣府男女共同参画会議議員、厚生労働省社会保障審議会委員、男女共同参画会議委員、社会保障国民会議委員などを歴任。現在は、評論家として活動するほか、NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長、東京家政大学名誉教授、同大学女性未来研究所長、「高齢社会NGO連携協議会」代表(複数代表制)。消費者庁参与。著書に「私の老い構え」(文化出版局)、「女一生の働き方 (BBからHBへ)」(海竜社)、「大介護時代を生きる」(中央法規)、「おひとりシニアのよろず人生相談」(主婦の友社)、「人生100年時代への船出」(ミネルヴァ書房)などがある。