甘辛く味付けた豚肉と錦糸卵、

海苔と「すし太郎」…チェコで作ったちらし寿司

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母は、なんでも山盛りいっぱい作って、一人っ子の私に

「好きなものを、食べたいだけ食べなさい」という人でした。

だから、4年生、5年生、6年生と、私の体重は毎年10キロずつ増えてた。

ホントに10キロずつ!(笑)

父はサラリーマンで、お給料日の前になると母は決まって

「今日はステーキにしよう」って言うんです。

どうしてかっていうと、お肉屋さんはツケが利いたから(笑)。

食べることが大好きな家族でした。

ところが、音楽の勉強のため25歳で留学したチェコは、

食料事情が日本とまるで違ってました。

とにかく食べ物がないんです。

私がいたのは1977年〜80年の3年間。

ちょうど68年の「プラハの春」から、

共産党政権が崩壊した89年の「ビロード革命」までの間。

共産圏まっただ中のメチャクチャ暗い時代でしたからね。

食べ物を買うのも行列に並ばないといけないし、

例えば豚肉が買えたとしても、ほとんどが脂身。

しかも皮が付いてたり、脚の部分が入ってたりするから、

キロ単位で買っても食べられるのはほんの少しなんです。

野菜だって冬の間はとくに種類が少なくて、

玉ねぎ、キャベツ、じゃがいも、しなびた人参と

しなびた小さなりんご、あとはニンニクぐらい。

パンとハムとチーズとミルク、卵とお米はありましたけどね。

そんなだから、レッスンに行くときは少し早めに寮を出て、

お店に人が並んでるのを見つけたら、私も並ぶの。

で、ギトギト脂の豚肉でも買うことができた日は、

友達に「ご飯一緒に食べよう!」って。

寮には日本人の留学生が私を入れて3人。

よく一緒にご飯を食べてました。

作るのはだいたい私。

ほかの2人は、私ほど食べることにどん欲じゃなかったから(笑)。

ときどき、チェコ人の友達や先生もお招きしたりして。

作ったもの?

いつもだいたい決まっていて、ちらし寿司とロールキャベツ。

お米を5合炊いて、日本から持っていった「すし太郎」を混ぜるんです。

その上に、脂を削り取ったお肉を甘辛く味付けして、炒めて細切りにしたのと、

錦糸卵、日本から持っていった海苔を散らせば出来上がり。

「すし太郎」はね、それはもう貴重品でした(笑)。

母直伝のロールキャベツは、クリーム味かケチャップ味か醤油味に。

そうして寮のキッチンにみんなが揃ったら、

「おいしいねえ」って言いながら食べてました。

私たちにとって、それが大ご馳走だったんです。

それでも不満なんて感じたことなかった。

毎日レッスンに出かけて、ほとんど毎晩、コンサートやオペラに行って、

好きな音楽を好きなだけ勉強できる。毎日がすごく充実してたから。

若かったんですね。

「すし太郎」、今も売ってますね。

スーパーでみかけると、やっぱり懐かしくなります。

(インタビュー:2014年1月13日)