鰯の骨を取って、擂り鉢に入れて、擂り粉木でごりごりと…
「想い出の食卓」と聞いて最初に頭に浮かんだのは、
やっぱり子供のときのことだなあ。
いつも、おふくろに夕食の用意を手伝わされてたからね。
あれは小学校の低学年のころだったと思う。
親父は商売をしていて、まあ、言ってみれば中小企業のオヤジだね。
毎日夜遅くまで働いてたし、7歳上の兄は学校から帰るのも遅かったから、
夕ごはんは、だいたいぼくと弟とおふくろの三人。
5時頃には食べていた。
おふくろは専業主婦だったけど、親父の仕事を手伝っていたからね。
忙しかったんだろうな。
夕方になると「ちょっと手伝って」と言われて。
昔は、レトルト食品をチンなんてわけにいかないものな。
どこの家でもみんな手作りだった。
中でもよく覚えてるのが、鰯のつみれ。
骨を取って、擂り鉢に入れて、擂り粉木でごりごりと。
えんどう豆なんかもね、「今日はまめご飯を炊くから」って言われて、
いっぱい買ってあるのを1つ1つ鞘から出した。
ぼくは、男ばっかり三人兄弟のまん中でね。
弟は2歳下でまだ小さかったから、ぼくが一生懸命やってたな。
「まん中の一人ぐらい、女の子だったらよかったのに」なんて言われながら(笑)。
ぜんぜんイヤじゃなかったよ。
手伝うのは楽しかった。
名古屋に住んでいて、わりと広い家でね。
台所と食堂が一緒で、テーブルがあって、椅子があって、
小さいから椅子の上に乗っていろいろやったな。
子供だからすぐお腹が空くんだよね。
するとおふくろが「健康にいいから」って、生の人参をくれて。
よくかじりながらやってたなあ。
鰯のつみれは、何にしたんだろう?
お吸い物かなあ。鍋かなあ。
なにしろお椀に2、3個入れてもらって、
食べたらまた入れてもらって、
つみればっかり食べてたからね。
おいしかったな。
三人でどんな話をしてたかって?
ぜんぜん覚えてない(笑)。
でも、なんだか楽しかった。
おいしかったというのももちろんあるけど、
やっぱり雰囲気だな。
あのときの楽しい気持ち、今でもよく覚えてるもの。
いま、料理?
しないよ。家内が台所に入れてくれない。
汚すだけだし、邪魔になるだけだからって(笑)。
相変わらず鰯のつみれは好きだね。
居酒屋なんかでメニューにあると、よく注文する。
食べるとあの頃のことを思い出すな。
きっと、食べものってそういうものなんだろうね。
(インタビュー:2013年12月17日)