新緑の季節を迎えた。
木々の枝に芽吹いた緑の葉が繊細なレース編みのようだと眺めていたら、
あっというまに木々が緑に覆われ、陽の光を跳ね返してきらめいている。
そして……。
私は、とんでもなく忙しい。
この美しい季節に仲間と立ち上げた原っぱで、新緑を寿ぐイベントをやることになったのだ。
それで、急遽、原っぱに小さな舞台を作った。
二度にわたって、仲間とその色塗りもした。
草刈りもした。原っぱの整備も頑張って、毎日のように働いていて、かなりへろへろ状態だ。
思えば、那須に来て6年目。
いつのまにか、私も颯爽と動いたり、走ったり、物を運んだりができない己の年齢を、自覚することになった。
そう、とうに若くはない。
気がつけば、すでに後期高齢者! いつの間に? と眩暈がしそうだ。
でも、頑張った先にはいいことがある。
昔、サーカスで出会ったピエロの「亀ちゃん」たちに、この新緑の中、私たちの原っぱ劇場で、
パフォーマンスをやってもらうことになっているのだから。
それが嬉しい。
実は、38年前、私は5歳の息子を連れてサーカスに行き、炊事係として働いたことがある。
なんで? とよく訊かれるけれど、動機は単純。
保育園に預けていた息子が登園を渋るので、シングルマザーの私は、困ってしまったのだ。
それで、なんとか子連れで働く場所はないものか? と考えた末に思いついた。
そうだ、サーカスへ行こう! きっと、それは息子の人生へのプレゼントになる、と。
働いていたのは一年ほど。
が、息子は、幼い頃に暮らしたこのサーカスを忘れ得ぬ「故郷」かつ「夢のような記憶」として心に刻んできたらしい。
たまたま、母と同じ物書きになった彼は、自分の幼い頃の記憶をたどろうと、サーカス時代に出会った人たちを訪ね歩いた。
そのおかげで、当時サーカスで出会ったピエロの亀ちゃんやユキちゃんとも再会することとなった、とか。
私の方も那須に移住したとたん、昔、サーカスで華やかな鉄線渡りの芸をやっていた女性と再会した。
彼女は、私の住むサ高住の隣の特養ホームでヘルパーの仕事をしていたのだ。
今は、なにかと居酒屋で共に飲んだりする仲だけれど、思えば、奇跡のような出会いだった。
長く生きていれば、こんなこともあるよね、とは思うけれど、
この高原の地へ来てからは、なぜかそういうことばかりが起こる。
ここは、奇跡を呼ぶ高原なのかも、そんな気がしてならない私だ。