春まだ遠しのこの時期に、久しぶりに東京にやってきた翌日のこと。
都心に仕事の打ち合わせに出掛けるため、地下鉄の長い階段を下りていて、
ふと気が付いた。
あれれ? ワタシ、フツウになっている……と。
びっくりして、なにが起きたのかと面食らってしまった。
というのも、昨年末に東京に来た時には、同じこの地下鉄の駅の階段の手すり
にすがりつつ下りていたのだ。しかも、一段ごとに両足を揃えては立ち止まり、
また両足を揃えては、立ち止まり……。
そう、慎重に慎重を重ね、時々、ため息をつきながら上り下りしていたはず。
「こんなんじゃあ、一人で那須には戻れない」と思っていたら、
たまたま取材に来た知人が、荷物を持ち、東京駅の改札口まで送ってくれた。
見るに見かねてのことだろうが、ああ、なんて頼りになるんでしょう、
と彼がまぶしく感じられるほど、その親切が身に染みた。
それで今回は、東京に戻る友人夫婦に、「膝が痛いの、お願い、乗せてって」と頼みこみ、
無事に荷物ともども車で自宅まで送ってきてもらった。
おかげで大助かり。
仕事で都心に出かける時は、ま、頑張ってエレベーターを使って、
それが無理そうならタクシーに乗って行くしかないわねえ、と考えていた。
ところが、なんと以前のように、私は、地下鉄の階段をトン、トン、トンと無意識に、
軽やかに、下りているではないか。
ここまで回復しているとは……と、わがことながら驚いてしまった。
思えば、那須のハウスの周りは、階段というものがほぼない。
あっても、庭を抜けてちょっと遠回りすれば階段を避けていける。
坂道は、多いというより坂道だらけだけれど、階段のように膝をあまり使わず
に済むので、高齢者には優しい。
ここ数カ月ほどは、「ワタシは、膝が痛い」ということが頭にも身体にも深く刷り込まれていたので、
過度に慎重に歩いていたらしい。
そもそも私は車でどこにでも行くので、あまり歩かない。
「もう、ワタシは歳を重ね膝が痛い女なの。だから、無理なことはできない」
と、いきなり「なにもやりません」宣言をして、部屋にこもり、原稿ばかり書
いて暮らしていたのだ。
じつは、それがよかったに違いない。
時間がかかったけれど、無理をしないで自分で自分を労わっていれば、ちゃんと回復するらしい。
その力がまだ残っていたらしいなどと思ったら、急に元気が蘇ってきた。
というわけで、少しづつ足の筋肉を鍛え、自立自助を貫いて頑張って生きていかなきゃあ、と自信を取り戻した私だった。
駅の階段をトン、トン、トン……とリズミカルに上り下りできることが、
こんなにも人を元気づけるものなのだ、ということに思い至った私。
今年は、遅ればせながらも、妙に前向きになっている。