今年も半ばを過ぎてしまった。

さすがに、私もいつまでも飛び跳ねるような生き方には終止符を打ち、

晩年の人生に落ち着きをもたねばならない、と思う。

けれど、一向に落ち着かない。

東京に家族などがいるせいか、想定外なことも次々と起きるし……。

つい目まぐるしいことにもなっている。

そう、巻き込まれてはいけない、巻き込まれる自分が問題なんだ、とようやくこのごろ思い至った。

ともあれ、せっかくこれまでの都会生活に見切りをつけ、

私は、思いっきり跳んだのだ。

跳んで着地したその地で、自分の思うままに、わがままに、一人で暮らして、

一人でシアワセになろうと思ったのだ。

日々美しい山々に抱かれ、広い空を悠々と流れゆく雲を眺めて暮らせるこの地に、

きっとシアワセがあると確信してきたのだ。

なのに、このあわただしい日々はなんなのだろう。

そう思った私は、もう一度、初心に帰るべく、生活の舵を切り直さねばと思い始めた。

そんなわけで、わが高齢者のコミュニティの人々の暮らしぶりを今一度、見回してみた。

旅に出る人、趣味に打ち込む人、ターシャ・チューダのようなガーディナー、無農薬野菜作りに励む人、

グルメめぐりの人、ゴルフ三昧の人、テニス好きな人、今もって働き続ける人、

コミュニティの中でお手伝いを見つけては、いろいろやってくれるボランティアな人……。

そして、住み方も様々だ。

最近は、コロナ禍もあって、高齢者の地方暮らし志向が高まったのか、

コミュニティ内の空いていた部屋が、次々と埋まっていく。

私の住むサービス付き高齢者住宅は、

敷地内に木のコテージ風ハウス群が、5つの庭を囲むようにして建っているのだけれど、

そこには、九十代の母を見守りながら、娘の自分も同じコミュニティで暮らそうとやって来た方もいる。

別々の部屋に入居し、これからはつかず離れずで暮らしましょうというご夫婦も。

スープの冷めない距離で、それぞれに好きに暮らすというのもなかなかいい。

先日は、私のハウスの数軒隣に「画家の妻」なる人が入居してきた。

挨拶代わりにもらった絵葉書の絵がとても素敵だったので、うっとりしていたら、部屋にも飾ってあるとのこと。

「見たい、見たい」と言い募って、見せてもらいにいった。

素敵にレイアウトされた部屋には、額に入ったいくつもの夫の絵が飾られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女は言う。

「私ね、子どもの頃はいろいろ辛いこともあって、で、夫と出会って結婚してからは、シアワセになったの」と。

「そうなの」とつぶやいた私は、思った。

夫の作品に囲まれて、人生で一番、シアワセだった日々を心に抱き、

その思い出に支えられて、彼女は暮らしているのだな、と。

「それだわ、愛に満ちたシアワセの記憶に支えられて晩年を生きる」

これぞ理想かもね、としみじみと思ったのだった。

でも私の場合は、もう遅すぎ。

願い通りにはいかないのが人生というものですね。