もうじき、高原に一番美しい季節が巡ってくる。

これまでは、咲き誇っていた真っ白な春のこぶしと桜の花に

うっとりしていたけれど、いよいよ芽吹きのときを迎える。

今は、赤や黄や緑のクレパスで淡く優しく描いたように

森も山もふわふわしていて、まるで絵本のように愛らしい。

この愛らしさが、今度は黄緑からつややかな深緑へ、

緑のグラデーションとなって、いっきに変化していくのだ。

この初夏へと向かう途上で、一瞬、

森の木々が陽の光の中で繊細な緑のレースのように編まれていくときがある。

それがとても美しく、この一瞬のときを私は毎年ワクワクして待つ。

私としては、この時を、なんとか家族や友人や、親しいみんなに見せたい、

と思うのだけれど、そのチャンスがなかなかない。

早すぎたり、遅すぎたり……。

そもそも、今はコロナウイルスが勢いを増していて、

これからどうなっていくのか、予想がつかない。

来て、来て、来るなら今よ、といきなりお誘いもできないし。

そう、今や誰もが先の見えない宙ぶらりんな心境の日々を送っている。

本当に世界中がこんなことになるなんてねえ、と思う。

思えば、数週間前のこと。

緊急事態宣言がいったん終了し、次の蔓延防止等重点措置などという

まどろっこしい宣言が始まる前のほんのわずかな隙をつくように、

それっ、とばかりに首都圏住まいの息子家族が、全員うちそろってやってきた。

日曜の早朝に高速道路を車で突っ走って、2時間半。

こちらとしては、なにごとだろう、とビックリした。

もしかしたら、こんな先の見えない事態のまま、

永遠に会えない母になられても……と、急に焦りはじめたのか? 

私としては一年振りに、2歳、8歳、10歳の生身の孫娘たちと再会を果たして、

その成長ぶりに柄にもなく胸がキュンとしてしまった。

とくに、いつのまにか2歳の子が流暢に喋っている様子に、

感動さえ覚えてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

むろん、私はこの一年、打ち込んできた「原っぱ」をみんなに見せた。

そう、わがシニア仲間たちの遊び場、「原っぱ」だ。

草が伸び始めたそこには、

ナズナの白い花、カタバミの黄色い花、オオイヌノフグリの青い花々……。

いずれも、小さくて可憐な野の花たちが、けなげに咲いていた。

誰もいない「原っぱ」には、さわやかな風が吹き渡っていて、

子どもたちは、解き放たれた子犬のように

好き勝手な方向へと走りまわった。

その様子に自分の少女時代が重なった。

そう、あの頃の子どもたちは、みんな、みんな「原っぱ」で育った。

そして、そこから生きるエネルギーを得て、

かけがえのない自分を自力で育てていたのだなあ、としみじみと思う。

ともあれなんの懸念もなく深呼吸ができる、

そんなささやかなことが、なんという大きな喜びなのだろう、

つかの間のほっとする時間を得て、

また家族一同、車に乗り込んで帰って行った。