那須に来てもうじき3年。

思えば、70歳を機にいきなり、50、60人のまったく縁のなかった人たちと

生活を共にし始めた私だ。

最初は、こんなにたくさんの人の名前を覚えるのは、絶対無理、

今さら誰かと特別親しくなるのも、絶対無理、と思っていた。

そもそも、私は特別な友人がいなくても、寂しいなどと思わないタイプ。

ほとんど、一人で自問自答して暮らしていけるタチだ。

ま、つかず離れず、みんなとうまくやっていければいいかなあ、と。

ところが、気が付けば、私にも格別気の合う妙な仲間がいろいろできている。

たとえば、「原っぱ」プロジェクトを立ち上げたら、

自主サークルのトールペイントチームの面々が、

勝手に「原っぱ」をこうしようとか、ああしようとか言い出した。

売店が建ったら、トールペイントのオリジナルグッズを作って、

どんどん売り出そう、なんてことにもなっている。

みんなの頭の中でいろんなイメージがもう色とりどりなのだ。

かくして、だんだんと「原っぱ」を通じて、同志的絆も生まれてきた。

そんなある日、同じ「原っぱ」プロジェクト仲間のモガキ家に

預けたままのテーブルを取りに行こうということになった。

この拾ったボロテーブルにトールペイントで華麗な絵を描き、

「原っぱ」に置こうという話なのだ。

別荘住まいのモガキさんは、高齢者住宅のスタッフだけれど、

私とほぼ同世代。

車で30分以上のとある別荘地に、自分で設計した家に一人で住んでいる。

この彼女がすごい。

なにしろ、別荘の目の前の300坪の林を買い足し、

そこの木を自力でがんがん切り倒し、

「あずまやを造ったからさ、見に来てよ」

なあんてことをサラッと言う人なのだ。

迷い込んできた不敵な目の黒猫チョコと住む魔女のような人。

私は那須に来た当時、彼女から「車の運転がなってない」とか

「ここは、都会じゃないんだから、そんな靴じゃだめ」とか、

なにかと叱られていた。

そのモガキさんは、元は建築パースなるものを描く仕事をしていたとかで、

家の中は道具であふれているが、ち密に整理されていて、

そこがなにかプロっぽく、物は多くても整理の仕方しだいと教えられる。

ともあれ、ついつい庭の焚火で焼いたお芋を食べたり、

コーヒーを飲んだりしているうちに、夕暮れになってしまった。

慌てて戻る間にあたりは真っ暗に。

下手な運転で山中を走る私の助手席で、友が

「スピード落とせえ~」「後ろの車を先にやんなさ~い」

「山ん中は、ライト上向き!」とか、叫び続けていた。

その彼女は、たしか元大蔵省勤務。

8歳年上の彼女とは「私より先には死なないでね」

なんて言われる仲になっている。

時々、思う。

あえて過疎地に一人で移住して来ちゃうような女はみな、風変わりだなあ、と。

でも、人生の晩年にこういう方々と出会えて、幸運だったなあとも。