那須から東京へ。

以前は、近い! 嬉しい! なんて思ったけれど、

新幹線に乗って人でごったがえす東京に出かけて行くのがおっくうになった。

とくに新緑へと向かうこの美しい日々をわずかでも見逃すのは、

私の人生の損失のような気もして……。

一人でドライブをしたり、温泉に行ったり、

好き勝手に暮らすことに味をしめてしまったら、この生活は手放せない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それに、そろそろ明日をも知れぬお年頃でもある。

今、好きに生きなくていつ好きにやるの、

やっと手に入れたこの自由じゃないの、って気もする。

ところが、ここのところ、東京に住む息子家族からちょくちょく

「○○日、あいてる? 来れる?」といった打診があった。

打診とはいっても、「その日はちょっと…」というと「なんで?」と言われる。

「鍼灸師さんに身体のメンテナンスをしてもらう予約があるの」と答えたりすると、

「そういうのって、キャンセルできる事例だね」などと言う。

あっさりと。

この人口減少の進む日本列島の中で、いまだ人口増加し続けている東京は、

人が集中しすぎて二酸化炭素が大量に排出されている地域だし……

母の健康に悪い、なんてことは、言うわけにはいかない。

なにしろ、三番目の赤ん坊が生まれて、家族一丸となって頑張っているらしい彼らなのだ。

この際、否定的な言説はご法度。

子育て中の若い家族は、慣性の法則のように余計なことは考えずに、

ただ、毎日を前へ前へと夢中に進むことこそが大切だ。

それはかつて私が体験したことでもある。

そんなわけで、保育園の入園や卒園、新入学、それに加えてお誕生日など、

とかくイベントの多い先月は、孫育て支援で通算二週間ほど東京に滞在した。

本当はね、メリーポピンズのように、こちらの気分で気まぐれに登場したりしなかったり、

でいたかった私ではあるけれど、人生のリアリティには勝てない。

結局は、卒業したはずの家族の一員になって、気が付けば、当たり前のように

ご飯を作ったり、掃除をしたり、買い物に行ったり、ゴミを整理したり、

と立ち働いている自分がいる。

なんだかわからないけれど、そういうことになってしまう。

そして、ヘロヘロになる。

那須に帰ってくると一日、寝込む。

数日間のそのヘロヘロから立ち直るには、二十四時間以上の休養が今は必要になっている。

わずか一年前、連日連夜、一人で立ち働き続けて決行した那須への引っ越しが、

今となっては信じられない。

よく、あんなことができたなあ、と我ながらあきれる。

いざとなると、人は、どれほどのアドレナリンを放出するのか、と思うけれど、

たぶん、「いつやるの?」「いまだ!」と勘が働いたのだと思う。

もう二度と同じことはできない。

あの時、思い切ってよかったなあとしみじみ思う。

なんてことを思いつつ那須に戻ったら、

「帰ってきたね」と、桜やこぶしの花が満開で迎えてくれた。

五月は、一年で一番、私の好きな季節である。