今年は、「がんばらない、急がない、転ばない」ということを心がけて生きていこうと思う。

というのも、どういうわけか、私は、これまでついついがんばって、

急いで、つんのめって生きてしまうタイプだったような気がするからだ。

いうなれば、常になにかにせかされている感じ。あくせくあくせくしていた。

那須に引っ越してきた当初も、

私は、自分の小さな家からコミュニティの食堂へ向かう坂を

いつもなぜか小走りしてしまっていたらしい。

そうしていることに気が付きもせずに。

ある時、坂をのぼっていて、

住人を一人追い越した後にいきなりそのことに気付いて振り返って挨拶をしようとした。

彼女が驚いてキャッ、と声を上げて後ずさりしたので、

なにかしでかしたのかとこちらも驚いて、

お互いで驚きの二乗みたいなことになったことがあった。

今は、その彼女は仲良しの一人で、一緒にトールペイントなぞを習っている仲だけれど、

この出会いの時の印象をなにかと口にする。

まるで、二度と忘れられない出来事のように。

「ここでは、走る人なんか全然いないのに、なにこの人は?

なんで走っていきなり振り向くの? と、もうびっくりしたわよ」と。

確かに、私にはいったん走り出すと、慣性の法則のごとく止まらなくなる、

周りの迷惑を顧みず、急ブレーキをかけて止めようとして、

つんのめって倒れる、みたいなことが多い。

そもそも、私の住んでいるのは、サ高住。

つまりサービス付き高齢者住宅なのである。

いくらなんでも、ここでは入居者が走るなんてことは、ない。

たとえ年女のイノシシ年とはいっても、猪突猛進はいかにもまずい。

おまけに、今は、冬。道が凍って滑りやすい日が多い。

なにかと「転ばないようにね」「気をつけてね」と言われる。

急いで転んだら、致命傷となるお年頃だ。

そんなわけで、私は、年があけて以来、なにかと「がんばらない、急がない、転ばない」

を呪文のように唱えている。

これまでの人生で知らず知らずの間に身についてしまった性癖を根本から変えて、

「のんびり、ゆっくり、焦らない」

そんな晩年の生き方をしっかり身につけようと決意しているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思えば、子育ても終わった。父も母も見送ってしまった。

孫育てもほぼ放棄したも同然。

仕事もあればよし、なければあきらめる。

とくべつし残したこともないなあ、と思う。

その日その日、平穏で楽しく、充実していれば、

たとえ設定した目標に達成しなくても、別にいいかな、と思う。

このまま「ま、いいか」「ま、いいか」で、

結局、部屋の片づけさえ達成できませんでした、ということになっても悔やまないことにしよう、

なんて思い始めている。

先日、のんびりしすぎて、行き遅れた初もうでにやっと出かけ、

おみくじをひいたら「小吉」で、

「何事も焦らずに待て」とか「待ち人はゆっくり待てばよし」みたいなことが記されていた。

なんだかいい年になりそうだ。