ここのところ、那須と東京の元自宅の間を行ったり来たりしている。

というのも急な引っ越しで、荷物の整理ができずに、

なんでもかんでもとりあえずのつもりで元自宅に荷物を運びこんでしまっていたのだ。

その整理を早く済ませたいのだが、まだまだ収拾がつかない。

じつは、この元自宅とは父の介護でどこにも行けなくなってウツウツとしていた私が、

何年もかけて人形劇場にしてしまった家。

85歳を過ぎた父が、「もうこの家で、お前がなにをしてもよろしい」なんて言うものでつい、

ああもしよう、こうもしようと妄想し、多少でもお金が入ると少しずつリフォームを繰り返し、

十年かけて、やっと形にした場所。

ムック本の「練馬駅ウォーカー」の地元自慢50店にも「住宅街の人形劇場」と掲載され、

ついにやった!と思っていたら

「もう、ここで人形劇をやり続けるのは限界」という事態に陥ってしまった場所。

思えば、世の中には私のようなタイプの人間が少なからずいる。

以前、そういう種類の人間ばかりが登場する、

スティーブン・ミルハウザーの小説を読んだことがあるけれど、

主人公たちはみんな身を滅ぼした。

要するに「なにかに打ち込み過ぎて、その極北にまでいってしまい、

二度と現実生活に戻ってこれなかった人たち」のお話。

だから、「東京の閑静な住宅街」という場所の限界に私が早々気付いたのは、良かったと思う。

そこは静かにフツウに暮らしたい人たちの住む場所。

いつまでも大目に見てくれることはない、と気付いた私は身を滅ぼさずに済んだのである。

なあんて思っていたのもつかの間、

この私ときたら那須の地でまたまた人形劇を始めてしまった。

東京でやっていた人形劇の人形たちも舞台も小道具も、

照明機材も音響機器もなにひとつ捨てる決心がつかず、

これまたとりあえずのつもりで那須の廃校になった小学校の元教室にすべてを運び込んだのだ。

長年一緒に組んでいた人形美術家、二年前にさっさとあの世に逝ってしまった太田拓美の遺作展を

そこでなら開けるかもしれない、と。

それをやらないと、なんか先へ行けない、みたいな……。

ところが、駄目もとで声を掛けてみたら、

思いがけず東京の人形劇仲間が手伝いに来てくれることになった。

音楽プロダクションの友人が、

レンタカーにアコーディオン弾きで歌うたいのララリーヌや

天才人形遣いのはるねえさんを乗せてやってきて、

街頭用の舞台で、みんなの大好きな「ハバードおばさんと犬」の

おかしなおかしな人形劇を上演してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかも、喝さいを受けてしまった。

思い思いの衣装を着けて、広い学校内を楽器を打ち鳴らしてパレードまでしてしまった。

しかも那須のサ高住の隣人たちも一緒に。

というわけで、東京の元自宅に住む息子家族に、私も父にならって

「もうこの家で、なにをしてもよろしい」と言ってみた。

かくして元人形劇場は、家中の本を集めて三世代用の図書室へと変貌することになった。

そんなわけで、東京へ出掛けては荷物整理に精を出しているが、

今や、電車から降りて、連なる那須の山々をふり仰ぐと、

「わがやに帰ってきたあ!」とほっとするようになった。

そして週末は元小学校の元教室で再びの人形劇場づくりに勤しんでいる。

周りの環境がどんなに変わっても、人の性癖は変わることがないようだ。

なんの因果か、やっぱり私は人形劇で身を滅ぼすような気がしている。