仕事で、ある本を読む必要がでた。

依頼のメールを読んでショックを受けた。

その本が出ていたことさえ知らなかったのだ。

私は一応現役の物書きだし、その本の著者のファンだし、

今、ベストセラーになっていると言うし、

本屋で見かければ、あっ、と思って必ず購入するはずだった。

もしかして、私って世間の情報からドロップアウトしちゃっているのかな、

と首を傾げていたら、いきなり気が付いた。

そう言えば、用事でどこかに出掛ければ、必ず、ふらりと本屋に立ち寄って、

喫茶店でコーヒーを飲んで、というのが習慣だった。

街の気配とか、人の行きかうなかを一人でふらふらしているのがなにより好きだった。

なのに、最近はふらふらせずにまっすぐ家に帰りたくなる。

一人暮らしなので家にいるのが、一番お気楽になってしまったのだ。

こういうのってなんかなあ、と思う。

さらに、新聞の宅配購読を止めたことも、すごくまずかった。

本の情報ばかりではなく、今や、世の中の状況さえ分からなくなっているかも。

実はこの夏、私は家にいない予定だったので、宅配はちょっと…と思ったのだ。

留守だと、新聞が新聞受けにどんどんたまる。

「今、留守中ですよ~」と告知しているようなことになる。

いちいち販売店に配達を止めてもらったり、再開してもらったりもとても面倒。

思い切って、パソコンで読む電子版に変更することにしたのだ。

ところが、無料版で「読み慣れる」ことをめざしたけれど、

一向に「読み慣れない」。

続けていればなんとかなるかしら、と思ったけれど、

PC画面で文字を見ていると、頭の疲労度が高い。

途中で、もう駄目とか、一人で叫んで隣の部屋のベッドに倒れ込んでしまうありさまだ。

以前は、新聞をテーブルの上に開き、お茶を飲みながら、

何気なくページを繰り、何気なく目に留まった記事を読む。

 

 

 

 

 

 

 

たぶん、その何気なくの情報こそが大切だったのだ。

もっと知りたい、とか、これってなんかの兆し? とか、好奇心がくすぐられる。

社会の一員として生きているという自覚が促される。

それから、下段の本の広告を「へえ」とか、「ほう」とか言いながら眺める。

気になった記事や本をハサミで切り抜いて、クリアファィルに挟んでおく。

今や、そんなこともやらなくなっているではないか。

いつもスマホで見ていれば、いいんじゃないの、と言う人もいる。

でも、あれは危険。

スマホって検索すると、どれが情報なんだか、広告なんだか、

頼みもしないものが次々出てきて混乱する。

まさにフェイクニュースの温床だ。

テレビがあるでしょう、という考えもあるけれど、同じ顔ぶれの人が出てきて、

あらゆる事件、政治、社会問題などに、ああだのこうだの。

人の意見ではなく、自分の力でオリジナルな考えをもたなきゃと思うのに

今や聞いているだけが精一杯。

「あら、○○さん、髪形変えたのね」なんてことがつい気になったりするわけで……。

こういう状況を老いたというのかもしれないけれど、

私は、生活のスタイルを今一度、変えなければならない、

という思いがじわじわしてきてしまった。

頭上をミサイルが飛んだりしているのに、なんの根拠もなく、

大丈夫よねえ、と思っている自分が怖い。