今日は行こう、と思っていても、夕方になるともう面倒臭くなっている。

それでも、こんなことも続かないなんて、と自分で自分を叱咤激励して出かけていく。

なんのことかというと、水中ウォーキングの話。

運動をするようにと健康診断で言われて以来、すでに7、8年。

運動嫌いの私が、長く続けている、

いや、続けているつもりの私の唯一のエクササイズである。

さぼりがちではあるが、一応、週に一度は近所の温泉施設で水の中を

ひたむきに歩くことにしている。

週に2度行くと、ふにゃふにゃの身体がしまって、動作が機敏になる。

けれど、そこはサウナもレストランもある温泉施設。

わが身には贅沢すぎる。しかも、さぼりがちなので月に3回ぐらい。

私はこれを豪華一点主義エクササイズ、なんて呼んでいる。

そもそも夕方に行くのが、面倒になる理由なのだけれど、

そこは午後6時からナイトタイムで安くなるのだ。

この時間は主婦の忙しい時間に重なるので、

なんとウォーキングエリアが一人占め状態となったりもする。

これぞ一人暮らし女の特典。

この条件を活用しないでなんとする、と思って

夕方からのエクササイズを続けているのである。

ともかくなにか少しでも運動をしていると、自分に対して努力している感じがある。

怠惰じゃないよね、私、って感じがいい。

事実、水中ウォーキングをやっているというと「すごい」と、

たいていの人が言ってくれる。

「エッ、あなたが!」という驚きが見え隠れするものの、とりあえずいい気分だ。

ともあれ、行ったからには1時間程は歩く。

ただし、自己流なので、

正しい歩き方かどうかさえ分からないというずさんさではあるけれど、

これを始めて以後、以前より階段をとんとんとん、

と軽やかに上り下りできている気がする。

血行がよくなって肩こり対策になるし、

お肌も歩いた後はつやつやになった気もする。

すべて「気がする」だけではあるけれど、

プールの中を黙々と歩く時間は思いのほかいい、のだ。

まずは、泳げない私が、

だれはばかることなくプールの中を歩けるだけで自信が持てる。

水とたわむれていると心が解放されて自由になれる。

思えば、人は、かつて母親の胎内で羊水につかっていたわけだし、

そもそも命はすべからく水の中から生まれたのだったよねえ、と原初の記憶も蘇ってくる。

水中を一定のリズムを刻んで歩いていると、20分ほど過ぎた頃から、心地よくなってくる。

ものの本によると、歩くと脳内ホルモンのセロトニンが出て、心地が良くなり、

しかも頭も明晰になるらしい。

確かに、日ごろ思いあぐねていたことなどに、すっと答えが出たりする。

水中ウォーキングの時間は、

私にとって今や日頃の懸案事項に答えを出す貴重な時間になっている。

対人関係などであれこれあった時も、ま、いいんじゃない、と寛容になれる。

自分の悪いところなどに気が付いて自省の思いにいたることも多い。

以前、会社を定年になった後に毎日、スポーツジムに通っている男性が、

「僕が体を動かすのは自分を取り戻すためなんですよ」と言っていた。

身体は自分というものを入れている「器」だから、

「器」をちゃんとしておかないと

「思考」の方ものびやかになれないのかもしれないと思った。

そんなわけで、

さぼりながらでもこの水中ウォーキングだけはずっと続けていかなきゃね、

と思うのである。