新しいICレコーダーを購入した。

それってなに? と言う方がいるかもしれないので付け加えると、

これは、小さいけれど大容量の録音機である。

取材をする私の仕事には必需品だ。

でも、パソコン仕様のものは、老眼の私には小さすぎて操作がしにくい。

録音中、正しく作動しているのかどうかが不安になって落ち着かない。

それで、手のひらサイズの古いレコーダーをいまだに使っていたけれど、

先日、息子がテープ起こしをしている現場を目撃したら、

ほんの小さなICレコーダーをUSBのようにパソコンに直接挿して、

まるでピアノを弾くようなブラインドタッチの華麗な手つきで作業をしていた。

その様子をみていたらつい、私だって、と言う対抗意識なんぞが生じてきて、

衝動的に新しいICレコーダーに買い替えてしまった。

というのも、20年近く前のことが怒涛のように思い出されてしまったのだ。

老父と息子と私、その三人で家族旅行で温泉に行った時のこと。

仕事を持ってきていた私と息子は、老父が布団に入った夜、

テープ起こし競争なるものをやって、私は彼に完敗したのだった。

8-500

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は私と息子は目下、同業者である。

同じように取材をして原稿を書くノンフィクションライターで生計を立てている。

思えば、このテープ起こしを彼は、ほんの15歳の時から修行している。

キーボードを打つ華麗な手つきはその時のたまものなのだ。

「鉄は熱いうちに打て」というけれど、

この「テープ起こし」の訓練は、私が母親として息子になした唯一の早期教育。

それ以外は、なにかをしてあげたことはなかったなあ、と思う。

なにを隠そう、彼は15歳の時に学校に行かなくなった不登校息子だった。

当時、高校一年の思春期真っ盛りで、ただでさえ扱いにくいお年頃。

私は介護も仕事もでとんでもなく忙しくて、

この問題と真摯に取り組むゆとりはなかった。

そんな状況だったもので、とりあえず、学校へ行かない? 行けない? ことが

たいしたことではないと彼を安心だけはさせなければと思った。

彼の一番の不安は、こんなことになっちゃって、自分の将来はどうなるのだろう、

と思っているだろうと勝手に思ったのだ。

それで、家からずっと出ないでいても、食べていける道があると伝えたくて、

私が思いついたのがテープ起こしの仕事だった。

それで、私は、彼に自分の取材テープの文字起こしの仕事を発注し、

なにがしかのお小遣いを与えることにした。

取材の内容を聞くことで社会にいろんな人がいることを知るかもしれない、パソ

コンのワードを使って文字を打つ練習になるかもしれない、

なにより在宅でお金を稼ぐ体験ができる、と。

それはきっと彼の将来への不安を減らしてくれるにちがいないと思った。

「うちはね、自営業なんだから、学校へ行かないのなら仕事して」

と言って、テープ起こしを頼んだのだ。

当時は、息子も私もそれぞれがいっぱいいっぱいで生きていたことが

幸いしたのだろう。

私は、業者に出すより息子に仕事を出すほうが経費節減になるし、

息子もこの件に対しては、なんの文句も言わずに、一生懸命ワープロを打ち続けた。

ネズミの研究者の話や、ビルの窓吹きの若者の話など、内容も面白かったらしく、

「ネズミにはクマネズミとかドブネズミとかの種類があって……」

などと、妙にネズミに詳しくなったりもしていた。

当時は、将来、彼が取材ライターになるとは夢にも思わなかったけれど、

人生、なにが役に立つか分からないものだと思う。

が、それが良かったのか悪かったのかは、分からないけど。

久田さんH200

ひさだめぐみ★プロフィール

1947年北海道生まれ。上智大学文学部中退後、ノンフィクションライターとして活躍。『サーカス村裏通り』で作家デビュー。『フィリッピーナを愛した男たち』で第21回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『息子の心、親知らず』で平成9年度文藝春秋読者賞受賞。『母親が仕事をもつ時』『トレパンをはいたパスカルたち』『今が人生でいちばんいいどき!』など著書多数。
個人事務所のサイト花げし舎