女、ひとりで暮らしている。

父が逝ってから7年も経つが、

ひとり暮らしを意識し始めたのは、つい最近のことだ。

ひとりになっても長いこと落ち着く時を持てずにいた。

2年ごとに引っ越しを繰り返したり、

外国に出掛けたり、闇雲に仕事に没頭したり。

突然、人形劇団を立ち上げたりもした。

まるで、自分を追い立てるように、

あえて目まぐるしい日々を送ってきたような気がする。

振り返ると、私、とんでもなく悲しかったのかもしれない、

と思ったりもする。

3歳から一人で育てた息子が18歳で自立して家を出て行き、

その後、母を亡くして、父を亡くして、ついに終止符が打たれたが、

長い介護生活が通算20年もあった。

私の人生にとってあの日々とはなんだったのかとは、

安易に答など出したくないし、出せない。

が、人生の不条理がとことん身に沁みた期間だった。

しかも、この間に、何人かの大事な友を亡くした。

青春の切ない記憶を共有する元夫も旅立っていった。

30年も前に別れたこの彼との別れも、

思いがけないことにかなり堪えてしまった。

今となればなんで別れたのか、との答さえも見つからない。

それやこれやで、振り返れば振り返るほど、自分の人生はもう謎だらけ。

一番、理解不能な存在が自分かなあ、などと思う。

そんな私であるが、今は、猫の額ほどの庭のある戸建ての家に、

静かに住んでいる。そのいきさつは、長くなるので省くけれど、

なぜか私とこの家との相性がいい。

いや、もうじき60代も終わりという年齢のせいかもしれない。

ともあれ、不思議と日々が落ち着いてきた。

最近、朝早くから目覚めるようになった私は、

低血圧のせいですんなりは起きられない。

ベッドの中で、朝一番早いテレビのニュースを見ながら、ぐずぐずしている。

この、ぐずぐずしている感じがいい。

目覚まし時計のいらない朝よねえ、と思う。

こんな朝がくるなんて想像もしていなかったわ、とふと口の端が緩む。

「なんか、私、シアワセかも」とつぶやいていたりする。

朝ごはんにも凝りはじめた。

トマトジュースと作り置きの野菜マリネとハムエッグ、

それにとろけるチーズをのせたトースト一枚と、ヨーグルト。

これが一応の定番だけれど、最後にコーヒーをゆっくり淹れる。

部屋中に、コーヒーの香りがみちるのが、とても好きだ。

朝ご飯350

時々は、和食になる。その朝はちゃんと玄米を混ぜて炊く。

それに納豆と焼き魚と味噌汁など。

自分のために健康を考え、いろいろと並べる。

昔の自分には、決して考えられなかった丁寧さで作る。

自分の自分に対するこの配慮、そのよゆうが嬉しい。

食事は、朝のテレビ小説などを観ながら食べる。

誰もなにも言う人がいないので、行儀は全然気にしない。

途中で肘をついたり、テレビのシーンに勝手に涙ぐんだりする。

夕食も、ほぼこんな感じ。

気分次第で缶ビールを飲んだり、ワインを飲んだりもするが、

缶ビール1本かグラスワイン1杯で、すぐにほろ酔いになり、

一人勝手に盛り上がり、勝手に上機嫌になる。

この自己完結的なお気楽さを知ってしまうと、

もう、誰とも一緒に食事はできなくなる、今や、そんな気さえする。

よく、ひとりでご飯を食べるのが、寂しくて嫌、と言う人がいるけれど、

今の私には考えられない。

「ひとりご飯」ほど、いいものはない。

昔々、子育てと介護と仕事に翻弄され、

次々と降ってくる「想定外な出来事」に日々振り回され、

疲弊していた頃、自分を奮い立たせるために、

私は、常に「のっぺらぼうなシアワセよりも、起伏に富んだフシアワセ!」

と呪文のように口ずさんで生きていた。

言わば負け惜しみのように。

でも、この頃、思う。

たかが「ひとりご飯」ぐらいで、

シアワセとつぶやいてしまえる私になったことこそが、

実は・・・そう、実は、自分の68年に及ぶ人生で、一番「想定外な出来事かも」と。

久田さんH200

ひさだめぐみ★プロフィール

1947年北海道生まれ。上智大学文学部中退後、ノンフィクションライターとして活躍。『サーカス村裏通り』で作家デビュー。『フィリッピーナを愛した男たち』で第21回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『息子の心、親知らず』で平成9年度文藝春秋読者賞受賞。『母親が仕事をもつ時』『トレパンをはいたパスカルたち』『今が人生でいちばんいいどき!』など著書多数。
個人事務所のサイト花げし舎