牛蒡のささがき作って、鯨の土手鍋作って、

飲んで、食べて、しゃべって…

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高校の時から付き合ってる悪友がいるんです。私を入れて5人。

いわゆる優等生タイプはいなくて、野生児系ばかり(笑)。

その中の一人の家が学校のそばにあったんだけど、なんとも居心地のいい家でね。

みんなで入り浸ってた。これ誰の家だ?ってくらい(笑)。

親父さんが懐の深い方でね。お袋さんもまた素敵な方なんですよ。

昔、「お母さんみたいな人と」ってのを省いて

「俺はお前のお母さんと結婚したい」と言ったら、張っ倒された(笑)。

大学に入ってもしょっちゅう集まってましたね。何だかんだ理由をつけて。

九州へ旅行に行ったヤツが「鯨のいいの買ってきた」と言えば、ソレッと集まる。

みんなで牛蒡のささがき作って、新鮮な鯨のベーコンを薄く切って、

鯨の土手鍋作って、飲んで、食べて、しゃべって…。

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若いころはみんなそうだと思うけど、

世の中には自分たちの知らない世界がいっぱいあるんだろうなって、

漠然とした期待感が満ち満ちていた。

実際に社会に出てみると、確かに想像もできなかった世界が広がっていました。

兵庫県の蔵元で出合った、神の如き酒もそのひとつ。

そこの会長さんが慶喜公のファンで、德川家にまつわる酒を造られましてね。

慶喜公のひ孫さんのお供で酒蔵を訪ねたことがあるんです。15年ぐらい前かな。

酒米は山田錦が最高だと言う人は多いけど、その中にも20ランクほどあって、

その最高ランクをさらに凌ぐお米ができる特別な田んぼがあるんです。

そのお米で造った酒は、これはもう説明不能というくらい凄かった。

よく、日本酒は絞りたてが美味しいっていうでしょ?

でもその酒は絞らない。

長い筒状の袋に入れて、重力だけでぽたん、ぽたんと落ちてくるのを待つんです。

じっとそれを見てると、頭の中はもう、妄想だらけ。一体どんな味だろうって(笑)。

ようやく飲ませてもらったその酒、

口の中にパイプオルガンの鍵盤を全部一度に押したような衝撃がきた。

日本酒のあらゆる成分がマキシマムな濃度でドッカーンと(笑)。

いやもう、カオスとしか言いようのない味。

だけど、普通の人は口にできないすばらしいものを飲ませてもらっているんだ、

失礼があってはいけないと、顔が引きつるのを必死でこらえてたの。

そしたら社長さんが、「おいしくないでしょ?」って(笑)。

超高級酒に限っては、最初は味がまとまらないそうです。

1年半ぐらい寝かせたあたりで急に高いレベルに変化し、

10年ものでも更に味に磨きがかかって青春まっ盛りの味。

本物の吟醸酒は時間をかけて熟成させるものだと教わりました。

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世界を広げてくれた味といえば、京都で飲んだお吸い物もそうですね。

昔の天皇がふだん食べていたものを出すという、一見さんお断りの店。

プライベートで誘っていただき、すごいものが出るんだろうなと期待して行ったんです。

でも天皇家といっても、いつも順風満帆だったわけじゃない。

とても困窮していた時期もあったんです。

そんな時期を乗り切ってきた食事だった。

甘鯛の切り身を焼いたものが出てきて、

「皮がハラッと剥がれますから、お皿の脇に置いといてください」と言われたんです。

で、身を食べた後、言われるまま皮をお椀に入れたら、白湯が注がれた。

他には何も入ってない。

何だろう?と思いながらひと口飲んで、もうびっくり。

あんなおいしいスープ、飲んだことがない。

淡麗芳醇、経験したことのない旨味、次元の違う味だった。

最高の甘鯛を使ってるということは分かったけど、それだけじゃない何かがある。

女将さんに訊くと「何もしてまへん。ただ味醂をちょっとお水に薄めて筆で塗って、

乾かすんどすわ。乾いたらまた塗って…。8時間ぐらいしますかなあ」と(笑)。

厳しい時期でも、陛下にお出しするものだから工夫に工夫を重ねたんでしょうね。

世の中、想像もできないものがあるもんだと思いました。

悪友たち? さすがに昔みたいに頻繁に会うことはないけど、

なんとなく会いたくなると「飯でも食わない?」と連絡します。

気もちがまいった時、そいつらと会って話をして、

ポロッと耳にした言葉が自分の中で繋がってストンと腑に落ちたり、

こいつが納得できないなら、俺ができなくても仕方ないなと心の置き所を見つけたり…。

基本的な価値観が共通してるから、なんか波長が合うんですね。

(インタビュー:2016年3月8日)

 

さいとうよういち★プロフィール

1958年東京都生まれ。早稲田大学大学院修了。戸定歴史館館長。学芸員。1989年、松戸市戸定歴史館の開設準備に従事。松戸市戸定歴史館開館記念特別展『プリンス・トクガワの生涯』、『古写真に探る幕末徳川の城』展、「徳川慶喜家 最後の家令」展など数多くの展覧会を企画。同時に、ウィーンフィルメンバーを中心に結成されたウィーンピアノ四重奏団や、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団ソロ主席フルート奏者、ワルター・アウアー氏、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団ワルター・ケスナー氏、リューディガー・リーバーマン氏などを戸定邸に招いてコンサートを開催。1998年、NHK大河ドラマ『徳川慶喜』の台本の時代考証に協力。同大河ドラマ展覧会『徳川慶喜』展を企画。2003年、皇后陛下が戸定歴史館・戸定邸に行啓の際に説明役を務める。2006年、戸定アートイベントを開始。2013年、企画統括した「没後100年 徳川慶喜」展(松戸市戸定歴史館・静岡市美術館共同開催)がジャポニスム学会展覧会賞受賞。NHK「その時歴史が動いた」「日曜美術館」民放「驚きももの木二十世紀」(監修・出演)、BS朝日「百年名家」「世界不思議発見」「トリビアの泉」などテレビ出演多数。また「徳川慶喜とお抱え写真師・中島鍬次郎―幕府開成所との関係を巡って」(『日本写真芸術学会誌』(平成7年度第4号)、「戸定邸とその庭園」(『日本庭園学会誌』23号)、「レオン・ロッシュとフリュリ・エラールの仏文書簡について―元治・慶応年間日仏交渉史の一断面―」(『霊山歴史館紀要』第20号)、「華族写真同人誌『華影』考―明治末期華族写真愛好家の活動と小川一真・黒田清輝との交流を巡って」(『美術研究』411号)、『歴史群像名城シリーズ 二条城』(分担執筆、学習研究社)。『将軍殿様の撮った幕末明治』(齊藤洋一・岩下哲典共著、新人物往来社)など執筆活動も多彩。