一人で地球を眺めながら、
音楽を聴きながら、ゆったりごはんを…
宇宙で食べたごはん?
私が行った頃は(1994年コロンビア号/1998年ディスカバリー号)
せいぜい2週間ほどの滞在。
その間、スペースラボラトリーという実験室を24時間稼働させて、
100種類ぐらいの実験を一気にやってましたからね。
とにかく忙しくて。
実験に関わってない人が「千秋、ごはん作っておくから」って用意しておいてくれたり…
といっても、ほとんど水を入れて温める程度だけど(笑)。
手があいたらさっと食べて、すぐ仕事に戻るという感じだったからなあ…。
ただ、2週間の飛行中に半日の休みがあったので、
そのときだけは一人で地球を眺めながら、音楽を聴きながら、
ゆったりごはんを食べました。
曲?
旦那(医師・作家/向井万起夫さん)が好きだから持っていってと言った
ベートーベンの「英雄」と、都はるみ(笑)。
食べたものは…覚えてない(笑)。
一度、クルー全員で集まってごはんを食べたこともあります。
日本の家庭料理を宇宙で―という広報活動でね。
当時、日本食といえば「すき焼き、寿司、天ぷら」という概念だったから、
ふだん食べてる料理を知ってもらおうということでレシピを募集して、
選ばれたものを宇宙食にして持っていったんです。
まぜご飯のいなり寿司は「狐の嫁入り」、
野菜を入れた高野豆腐は「大地より愛をこめて」とか名前も凝っていて、
私はどれも好きだったけど、
一番好評だったのはカレーライスですね。
カレー自体も美味しかったけど、
ああいう閉鎖空間にいると匂いに鈍くなるんです。
匂いがこもっているし、乾燥しているし、
重さがなくなるから血液の循環も悪くなって、鼻が詰まったようになる。
だからスパイシーなもの、塩気の強いもの、甘みの強いもの、
そういったメリハリのあるものが美味しく感じられるんですね。
ワサビも人気でした。
バターに混ぜてパンに塗って食べると、鼻がツンと通るでしょ(笑)。
情緒的なことはあまり伝えられなかったけど、
季節や文化を感じながら食べるということは、
少し分かってもらえたんじゃないかなあ。
提供:宇宙航空研究開発機構(JAXA)
人間が初めて宇宙に行ってから50年以上。
今では、宇宙に行くことがそれほど珍しくなくなっています。
普通の人でも、チケットを買えば行くことができる時代がくる。
仕事をするわけじゃないから、多少血圧が高くても、糖尿病でも、
年をとっていても行けるようになります。
一方、プロの飛行士は、半年とか1年とかより長く滞在させて、
月とか火星とかより遠くに行かせようとしているので、
医学検査はさらに厳しくなってます。
病気になったら仕事ができませんからね。
二極化しているんです。
宇宙開発というのはリサーチ&デベロップメント。
将来投資型のもので、教育や人材育成もそこに含まれます。
2015年に東京理科大学の副学長に就きましたが、
教育は私がずっとやりたいと思っていた仕事です。
教育の持つ強さというか、夢を実現させるツールは教育だと思うから。
大学に勤めて海外に出ることは減ったけど、
今もヒューストンにあるNASAのコントロールセンターと連携して仕事をしてますし、
1年の3分の1は海外です。
日本にいても会合で食事をすることが多く、一人の時間はなかなか持てないけど、
たまに家で作るときは極めてシンプル。
デパートの美味しいお惣菜に自分で野菜を乗っけたり、
ご飯に卵をかけたり…そのレベル。
卵かけご飯で済まそうというんじゃないの。
豪華絢爛な会食より、卵かけご飯のほうが美味しいから(笑)。
今は物理的に家族と一緒にいる時間はないけど、
旦那にしても母にしても、それぞれ好きなことをしていて、
幸運なことにみんな独立して自由に生活してる。
久しぶりに会おうよって時は、卵かけご飯食べながらでも楽しく会話ができる(笑)。
人生って、長くても100年しか生きられないじゃない?
だけどやりたいこと、面白いことはいっぱいあって、
たまたま放送大学をみても、あ、こんなこともあるんだって思うし、
音楽も面白いし、歴史も面白い。
本屋さんの本の数ぐらい面白いことがあるのに、
どんなに頑張ってもあの本全部は読めない。
そう考えると、短い人生の中でネガティブに後ろを振り返ったり、
人といざこざ起こしたり…そういうのはアホらしい(笑)。
それより、こんなこともある、あんなこともあると思って生きたほうが楽しいし、
ああ面白い、もっとやりたいなあって思いながら人生が終わったら、
最高だなって思います。
(インタビュー:2015年10月22日)
むかいちあき★プロフィール
1952年群馬県館林市生まれ。東京理科大学副学長・宇宙航空研究開発機構技術参与・宇宙飛行士・医師(医学博士)。1977年、慶應義塾大学医学部卒業。同年、医師免許取得。1988年、同大学博士号取得。同大学医学部外科学教室医局員として病院での診察に従事。1985年、NASDA(現JAXA)より搭乗科学技術者として宇宙飛行士に選定される。アジア初の女性宇宙飛行士として1994年、1998年と2度の宇宙飛行を行い、微小重力下でのライフサイエンスおよび宇宙医学分野の実験を実施。2005年より2007年まで、国際宇宙大学の教授として、国際宇宙ステーションでの宇宙医学研究ならびに健康管理への貢献を目指した教育を行う。2015年4月、東京理科大学副学長に就任。