ナスにお味噌を乗せてうどん粉で包み…

祖母の手作り「おやき」

 

昭和19年の夏、

戦争がひどくなり青山(東京都)から茨城県の古河に疎開したんです。

祖母と両親とぼくと弟。

終戦の年に妹が生まれて、ぼくは小学校に入った。

父はサラリーマンを辞めて小学校の教師になり、

結局10年間、古河で暮らしました。

とにかく食べ物のない時代でしたね。

母は自分の着物を農家に持って行って物々交換で凌いでた。

まさにタケノコ生活。

後でよく「子供にご飯を食べさせるのに精一杯で、

躾をするヒマがなかった」ってボヤいてましたが、

ぼくは、楽しかったな(笑)。

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住んでいたのは商店街の裏の空き地に建てられた借家。

裏がすぐ田んぼで、そんな所で毎日遊んでた。

青山とはまるで違う生活でね。

見るもの全部、珍しかった。

お腹はいつも空いてたけど、思い出といえばやっぱりあのころの食卓だなあ。

中でもよく覚えてるのは、祖母が作ってくれた「おやき」。

ナスにお味噌を乗せてうどん粉で包み、

フライパンで焼くんですが、これが非常に美味しかった。

母の手打ちうどんも美味しかったな。

ちゃぶ台を畳み、その上で粉を練って棒で伸ばして、煮込みうどんにする。

入ってるのは大根とか大根の葉っぱとか、そんなものだけど、美味しかった。

お米がないから代用食が多かったですね。

お弁当も、ペースト状にしたさつまいもを弁当箱に詰めて、

一番上に薄くご飯を敷いて、梅干し一個。

一見、日の丸弁当だけど、ひと口食べるとお芋(笑)。

2年生だったかな。

世の中が少し落ち着いてきて、初めて運動会があったんです。

そのとき母がいなり寿司を作ってくれましてね。

半分は麦飯だったと思うけど、

世の中にこんな美味しいものがあるのかとびっくりしたのを覚えてる(笑)。

あの時代、ぼくは「まずい」という記憶がないんです。

美味しいものばっかり食べてた気がするなあ。

お腹が空いてたからね。

なにを食べても美味しかった。

そういえば、祖母のおやきには後日談がありましてね。

10年ほど前から長野県とお付き合いが広がり、

出かけることが増えたのですが、

あちこちで「おやき」が売られているんです。

訊けば、長野の郷土食だと。

そこで、ああ、そうだったのかと合点がいった。

祖母は松代の出身で、侍の娘なんです。祖父も松代の侍だった。

つまり祖母が作ってくれた「おやき」は代用食でなく、郷土食だったんです。

その後、松代へ講演に行ったとき、

祖先は松代藩の侍だったらしいと話したら、調べてくれまして。

古い戸籍のようなものが残っているんですね。

すると、身分はそんなに高くないけど藩士で、

どこに住んでいたかということまで分かった。

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ぼくにとって「おやき」は、

古河の田園風景と密接に結びついていたのですが、

古い立派な家がたくさん残っている松代の美しい風景とも結びついたわけです。

ぼくはね、食文化と街並みは関係があると思っているんです。

例えばヨーロッパの街並みの面白さの一つは、

街の中に庶民の市場があることだと思うんですよ。

そこにはプロの業者もいれば、

自分で作ったチーズやパンを売ってるおばあさんもいたりする。

多少形がいびつだったり、灰がついてたりしても、

それはそれで味があって、その味を求めてわざわざ買いにくる人もいるんです。

そういうものをなくさずに街づくりをしてきたことは、

彼らの優れたところだと思います。

食文化というものに非常にこだわりがあって、簡単には捨てない。

ソルボンヌ大学で講義していたとき、

食文化の地理学を研究しているジャン・ロベール・ピットさんという先生がいたんですね。

ピットさんは、チーズにしても野菜にしても、市場のほうに本物があると。

市場が街の中心にあって、多少高くてもそこで買う人がいるから、

街が拡散しないで賑わいにつながると言うんです。

日本でも昔はあちこちの街で市が立ったのに、

それがなくなったのは、

近代的な流通システムのほうがいいという考え方が受け入れられ、

大型店が一気に全国に広がっていったからです。

日本人は、自分たちの生活が持っている重さというものをあまり感じないで、

新しいものがいいという妄想にとらわれている気がします。

その結果、市場は消え、街の中心部が閑散として空き家だらけになった。

それは、ぼくらの街づくりの失敗だと思います。

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和食が無形文化遺産に登録されましたが、

食文化だけ切り離して考えるのではなくて、

その土地の生活文化と結びつけていく。

それが正しいやり方ではないかと思います。

(インタビュー:2015年11月4日)

なかむらよしお★プロフィール
1938年東京生まれ。東京大学工学部土木工学科卒業。工学博士。日本道路公団を経て東京大学工学部助教授、1976年東京工業大学大学院理工学研究科担当、1982年同大学工学部教授(景観工学、都市構造及びデザイン)、1986年パリ大学社会科学高等研究院招聘教授、1996年東京工業大学大学院社会理工学研究科評議員、1998年京都大学大学院工学研究科教授、2002年定年退官。東京工業大学名誉教授。土木学会名誉会員。土木計画学研究委員会幹事長、土木学会誌編集委員会委員長、同環境システム委員会委員長、同土木史委員会委員長、同景観デザイン委員会委員長などを歴任。東京都都市美対策専門委員、建設省道路審議会専門委員、国土庁国土審議会専門委員、国土庁首都機能移転調査研究委員会景観部会座長、山形県土景観計画作定委員会委員長、文化庁文化財審議会専門委員、関門景観審議会会長、横須賀市都市景観審議会委員長、国土交通省羽田空港デザイン委員会委員長、神戸2050構想研究委員会座長、UDC景観大賞審査委員会座長、日本風景街道戦略委員会副委員長、山形県景観審議会会長、軽井沢町未来構想委員会座長ほかを歴任。サントリー学芸賞(風景学入門)、土木学会著作賞(風景学入門)、国際交通安全学会賞、土木学会出版文化賞(研ぎすませ風景感覚)、ユネスコ・メリナ・メルクーリ国際賞(古河総合公園)、土木学会出版文化賞(風景学・実践編)、土木学会景観デザイン賞特別賞(太田川環境護岸)、ダンバートン・オークス・ハーバード大学研究資料館・現代景観デザインコレクション収蔵(太田川環境護岸、古河総合公園)、国際交通安全学会賞、土木学功績賞受賞。土木学会名誉会員。「風景学入門」(中央公論社)、「風景を創る」(NHK出版)、「湿地転生の記」(岩波書店)、「風景からの町つくり」(NHK出版)、「都市をつくる風景」(藤原書店)他著書多数。