だけどね、やっぱり
うちで食べるのが一番だわね…

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想い出の食卓っていわれてもね、16のときから漫才やってまして…。

きっかけは昭和13年。

近所の漫才師さんに、あたしが三味線と踊りをやれるってんで頼まれたの。

おカミさんのお腹が大きくなったから、お前さん、代わりに出てくれって。

それでいきなり舞台に立ったら、間に合った。

そのおカミさん、「はい、はい、そうなの」って言ってるだけだったのね。

当時、女の漫才師はそれでよかったんですよ。

でも、あたしは相方のしゃべりに「それでどうなの?どうしたの?」って突っ込む。

三味線も弾いてね。

おカミさんが戻ってきたので、辞めちゃいましたけど、

あの子、面白いよってことになったんです。

それ以来、長いこと芸人やってますからね。

食事も表でいただくことが多い。

で、気を使ってくださって、

はっきり言えば、特別扱いされることも多い。

「天皇陛下が召し上がった料理です」ってのをご馳走になることだってあります。

畏れ多くてね。

岸信介さんと佐藤栄作さん、

お二人のお座敷で桂子好江の漫才をご披露して、

そのまま宴会になったこともある。

どんな偉い人の前でも驚いてなんかいられないの。

どこでも喋るし、都々逸だって自分ですぐ作っちゃう。

「いやでないから言わしておくれ 一生お前といたいから

命とは粋なものだよ 色恋忘れ 意地張りなくなりゃ石に成る~ ♪ 」ってね。

だから、どこで何を食べましたかって訊かれたら、

話し切れないほどあるんです。

だけどね、やっぱりうちで食べるのが一番だわね。

あたし、表で食べるのって、あんまり好きじゃないんです。

そこに人がいれば、ものも言わなきゃなんないでしょ。

芸人なんだから。

オツに澄ましてたら、気どってるとかなんとか、何言われるか分からない。

でも、この人(夫の成田常也さん)と二人だけなら、そんなことないからね。

仕事がない日はたいてい家で食事します。

この人が用意してくれるものを、お酒呑みながら。

でもね、呑めるのは一合だけ。

それも半分はこの人が呑んでしまう。

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夫  いやいや、あれは二合徳利です。

それを半分ずつ呑んでるんですよ。やめてくださいよ(笑)。

師匠 だけど呑ん兵ってのはね、酔っぱらうまで呑みたいの。

なのに酔っぱらうほど呑ましてくれない。いつも酔っぱらった振りしてるだけで。

夫  うそぉ(笑)。だいたい、酒を呑むと箸が進まなくなるでしょ。

だから食べたら注ぐようにしてるんです。

師匠 一生懸命食べてるんだけど、なにしろ青いものが多くて。

夫  最近、ほうれん草に目覚めたんです。

生のほうれん草を水洗いして、根っこを切って、適当にちぎって、

そこにカリッと焼いたベーコンとかハムとか、ちょっと足して、

ドレッシングで食べる。これが美味しい。

師匠 葉っぱかき回すと、ちょこっとだけ肉が出てくる。

あと、みそ汁は…

夫  みそ汁の話はいいですよ。

師匠 お湯を入れて…

夫  ……(笑)。 最近のは美味しいんです。卵とか白菜とかいろんなのがある。

何か食べたいものありますか?って訊いても、自分からこれってことはまずない。

強いて言えば、薄く切ったじゃが芋のフライが好きですね。

師匠 好きってわけじゃないの。じゃが芋食べるとお腹ん中、調子いいから。

夫  塩加減がいいからでしょ! 作るの結構、面倒くさいのに(笑)。

師匠 じゃが芋とか食べると、お腹のフンがちゃんと出てくるから食べてるの!

夫  でも、美味しいんでしょ?

師匠 うん。

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夫  わが家は一日二食なんです。だからごはんは少し大きめのお碗に一杯。

それだけは食べてもらわないと、体重に影響しますからね。

師匠 よそった分だけ食べなきゃ叱られるから、一生懸命食べてるんだけど…。

夫  京都のほそーく切った塩昆布、あれ好きなんですよね。

師匠 そう、あれは美味しい。

夫  それをお膳に置いといて、ご飯残したら、ちょっとだけかけるんです。

するとパクッと、条件反射で食べる(笑)。

 

好き嫌いないんでしょ?って突っ込むと
「そうだよ!」と…

 

戦争中、陸軍省恤兵部(じゅっぺいぶ)の要請を受けて戦地慰問に行ったことがあるんです。

漫才とか踊りの人とか6、7人のグループで、18年(昭和)に満州のハイラル、

19年は北支に。陸軍省の派遣だから待遇も士官クラスでね。

何を食べたか覚えてないけど、白いご飯だけは覚えてます。

危険は感じなかったけど、最前線ですからね。

移動中、トラックの助手席に座ってた芸人さんが撃たれて亡くなってます。

(夫の成田常也さんに)あなた生まれてた?

夫  私は戦後生まれです(笑)。

師匠 69と93‌歳‌か…。普通なら一緒になれる年齢じゃないですよね。

内海師匠950
62年頃、働いてたアメリカから毎日手紙をくれましてね。

一緒に住んでた孫が、おばあちゃん、また来たよって持ってきてくれるけど、

なにしろ娘と同じ年(笑)。

夫  結局、平成元年に帰ってきて、それから27年間ずっと一緒に暮らしてます。

師匠 最初の3年間は会社員だったから、あたしが料理して、毎日お弁当作ってた。

夫  そういう生活、初めてだったでしょ?

師匠 そんなことないよ。男はいっぱいいたから。

でも、毎日お弁当持って出てくような人はいなかったわね。

夫  料理、上手ですよね。とくに師匠お手製のおでんは旨い。

師匠 最近はコンビニのおでんが旨い(笑)。

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夫  3年で会社を辞めて内海桂子専属のマネージャーになって、

それから食事づくりは一切、私がすることにしたんです。

でも作るのはメインの一品か二品。あとはお惣菜を買ってきますが、

それぞれ美味しい店を考えて買いに行くのは、結構大変(笑)。

師匠 出てったと思ったら、袋いっぱい持って帰ってくるから、

近所の人、随分精の出る旦那さんだねって。

こんな亭主は初めて。何人目の亭主になるのかね?

夫  知りませんよ、そんなこと。噂になっただけで3人目(笑)。

師匠 私と一緒だと普通は芸人になるって言うのに、この人はぜんぜん言わない。

夫  言うわけないでしょ。漫才は誰でもできるってもんじゃないですよ。

師匠 「銘鳥銘木」って古いネタがあって時々舞台にかけるんです。

これがうまい子は成長しますね。〝木〟に〝鳥〟を止めるネタですが、

「松に梅」「梅に鶯」という普通の答え以外にも、

「病気で何鳥止まる? 医者と看護師さん脈とり止まる」とか

少しひねって「ステッキに何鳥止まる? ジェントリマン止まる」とか。

好江(故・内海好江さん。漫才コンビ内海桂子・好江として一世を風靡

/1997年逝去)が亡くなって一人だから、

浅草の東洋館なんかでやるときは、漫才協会の若い芸人を引っ張り出すの。

すると、やったことがないから戸惑うでしょ。

それを面白がるお客さんも引き込んで会場が一体となる。

臨機応変にやりとりするのが漫才。

伸びる子はどんどんアイデア増やしてます。

夫  ほんとは師匠、毎日でも舞台に立ちたいんですよね。

師匠 ずっとなんでも自分で決めてきたけど、今はこの人にお任せになってます。

食べることも、生きてることも、なにもかも。

夫  でも時々、気に入らないことは無視するでしょ?(笑)

師匠 そお? 仕事は断ったことないけど、

個人的な好き嫌いは言わせてもらいますよ。

年寄り扱いされたら「冗談じゃねえ」って断る。

夫  ときには「冗談じゃない」って言うように仕向けてる。

師匠 喧嘩売ってんの?

夫  いや、売ってません。喧嘩、買うかなあって思いながら言ってるけど(笑)。

食事もね、ちょっと嫌だと箸が休むから、「好き嫌いないんでしょ?」って突っ込む。

すると「そうだよ!」って食べてくれるから(笑)。

師匠 ま、人生、持ちつ持たれつ侃々諤々やっていける人がいるのは幸せですよ。

夫  でも、同じ世代の人がここにいても嫌でしょ?(笑)

師匠 90歳? それは嫌。

夫  海外旅行も三味線持って行かなきゃ嫌だっていうから持ってくと、

結局、毎日あちこち慰問に行って、観光は無しってことが多い…。

師匠 遊び歩いてるだけじゃ、自分の価値が分かんなくなるから嫌なの。

夫  せっかく温泉旅館に行っても、1回しか温泉に入らないし…(笑)。

師匠 やっぱりね、自分の家でこうして二人でいるのが一番いいんですよ。

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(インタビュー:2015年8月29日)