診療が終われば白衣を脱いで買い物に

父と母は一緒に夕食の支度を…

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私が生まれ育ったのは東京の下町。

父も母も歯科医で、自宅の長屋で歯科医院を開いてました。

毎日大勢きてくれる患者さんを二人で診て、

診療が終われば白衣を脱いで、母は目の前の動坂市場へ買い物に。

肉屋さん、魚屋さん、八百屋さん、豆腐屋さん、お菓子屋さんなど

ひと通りのお店が揃ってたから、 パパッと買ってきて、

先に台所で支度を始めてた父と一緒に夕食を作ってました。

忙しい両親を見てたから、 私と妹も、

かつお節を削ったり、家の前を掃いたり、医療器具を消毒したり…

できることは何でも手伝ってた。

食卓と聞いて頭に浮かんだのは、あの頃のごく当たり前の毎日。

昭和30年代から40年代はじめにかけてのことです。 幅500
春は竹の子ご飯、秋は松茸ご飯、冬は牡蠣の土手鍋など、

旬のものは必ず食べてましたが、

普段はごはんとみそ汁と漬け物に、おかずが一品か二品。

油料理が多かったですね。

よく作ってたのはキャベツとコンビーフの炒め物とか、茄子のひき肉詰めとか、

天ぷらは父が揚げてました。

あの頃は「油を使うと栄養が摂れる」みたいな感じがありましたね。

戦後の混乱も落ち着いて、高度成長期のさなか。

『名犬ラッシー』とか『パパは何でも知っている』といったテレビ番組の影響もあって、

アメリカナイズされた食事がいっぱい入ってきた時代です。

いま思うとあまり健康的じゃないけど、豊かな暮らしにみんな憧れた。

「スタミナ料理」って言葉が、雑誌によく使われていたのを覚えてます。

私、母のとってた『ミセス』を、母より熱心に読んでたの(笑)。

弟とは8歳年が離れてるから、まだ父と母と妹と私の4人、

6畳の部屋で小さなデコラのちゃぶ台を囲んで食べてました。

両親は、家に電話をつけ、次はテレビを…と、一つずつ買い揃えてましたね。

日曜日は必ずどこかに連れていってくれた。

高尾山とか筑波山、遊園地、デパート…。

夏になると1週間ほど山の別荘を借りて出かけたりもしました。

父は、歯科医師会の集まりなんかで美味しいものを食べると、

家族も連れていきたいという人。

いろんなお店に連れていってもらいました。

何でもどっさりあるのが好きで、いつも食べきれないほど注文するんです。

で、せっかちだから、

自分が食べ終わるとさっさとお金を払って帰ろうとする(笑)。

戦争には行かなかったけど、

疎開先で食べものがなくて栄養失調になったことがあるんですね。

それで食べられない恐怖というのがすごくあったみたい。

父も母も空襲で焼け出され、財産をすべて失う経験をしています。

戦争は二度と嫌だという思いが強いから、広島と長崎の原爆の日は黙祷し、

敗戦の日は父の作ったすいとんを食べるのが年中行事でした。

でもそのすいとん、

かぼちゃとか椎茸とかいろんな野菜が入ってて、山梨のほうとうみたいでね。

戦時中の話を聞かされながら、 結構おいしいじゃんって思って食べてた(笑)。

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母は今も元気ですが、 父は80歳のとき肺がんで亡くなりました。

私は最初の子供で、すごく可愛がられたんです。

理科の道具がいるといえば、探しにいって必要以上にいいものを買ってきてくれたり、

本郷の医療問屋で顕微鏡を買ってきてくれたり。

だけど私は、そんな父がちょっと鬱陶しかった。

いつの頃か分からないけど父は、

わがままで思い通りにならない娘のことを諦めたんじゃないかなあ。

弟がいてくれてほんとうに助かりました。

「谷根千」(地域雑誌「谷中・根津・千駄木」)を始めたときも、

「目立つことはするな」と嫌がってましたね。

革新派なのにちょっと臆病だった(笑)。

世間に認められるようになってから、少し自慢もしてたみたいですが…(笑)。

父とは喧嘩もさんざんしたけど、今はすごく懐かしい。

思えば幸せな時代でしたね。

経済は右肩上がりに成長し、貯金は2倍になった。

ものを買って生活を豊かにするという、分かりやすい目標もあった。

だけど、これからはもう資源を消費して拡大していく時代じゃない。

慎ましく、身の回りのことを楽しみながら生きてくしかないんじゃないかなあ。

私はもう最低限のものしか買わないし、使わない。

車もないし、アイロンもない、クーラーも使わない。

これでお金がたまる一方…だといいんですけどね(笑)。

(インタビュー:2015年8月11日)

もりまゆみ★プロフィール
1954年東京都文京区生まれ。早稲田大学政経学部卒業。東大新聞研究所修了。出版社勤務の後、1984年に友人と三人で地域雑誌「谷中・根津・千駄木」(通称「谷根千」)を創刊。編集を続けながら、地域研究、紀行、文学などに関する著作を発表。「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」の共同代表も務める。「円朝ざんまい」(平凡社)、「東京遺産」(岩波新書)、「女三人のシベリア鉄道」(集英社)、「『青鞜』の冒険」(平凡社)など著書多数。