バルセロナで初めて食べたアンギュラス

ふと、古老のことを…

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私が生まれ育ったのは栃木県石橋町。

今は合併して下野市になっていますが、平らで何もない平和な町です。

日光連山がきれいに見えて、小学校から高校まで毎日、

その山並を眺めながら、季節を感じながら、学校に通ってました。

うちは鉄道を利用した通運業をやっていまして、跡を継いでいれば私が四代目。

駅の前に家があって、昔は引き込み線が敷地内まで来てたそうです。

全国からいろんな荷物が集まり、地元からいろんな荷物が送られていく。

この貨車はどこから来て何が積んであるんだろうとか、

この荷物はどこへ行くんだろうとか、

小さいときからそんなことにとても興味がありました。

地図を見るのも好きでしたね。

栃木といえば干瓢が有名ですが、干瓢を詰めた箱がたくさん集まってきて、

それが貨車に積まれて出て行く。行き先が大阪でね。

普通は東京なのにと子供ながら不思議に思い、

あるとき荷物を届けにきた干瓢問屋のおじさんに訊いたんです。

すると、昭和30年代当時、干瓢の消費量が一番多いのは大阪で、

干瓢の値段は大阪の市場で決まり、それが農家に戻るのだと。

干瓢一つとっても、農家から買い付ける人、仲買人さん、加工する問屋さんがあり、

値段は需要の関係で決まるという流通の仕組みを教わり、

ああ、面白いなと思ったのを覚えています。

地元の特産品の一つに桑の苗というのもありましたね。

種苗組合があって、数本まとめて縛った桑の苗木がたくさん、全国に送られていた。

養蚕が廃れ、昭和30年代の半ばには全くなくなりましたけど。

暮れから正月にかけては暮市とか初市とかが立ち、

瀬戸や有田などから藁に包まれた焼き物がたくさん送られてきました。

露天の店主たちが来るまで倉庫に並べてあるんですが、

益子の陶器とは随分違うなあと思いながら眺めてました。

駅のそばに馬市場がありましてね。全国の産地から馬も送られてきた。

馬喰さんたちも一緒にくるんですが、馬の積み降ろしの間は手があくので、

北海道のこととか、九州のこととか、いろんな話をしてもらったなあ…。

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そういえば、訊いたことは何でも答えてくれるおじいさんがいましてね。

あるとき「死ぬまでに知りたいことはある?」って訊いたことがある。

すると「鰻の子供を見てみたい」と。

川にいるのは大人の鰻ばかりだと言うんです。

このおじいさんにも知らないことがあったというのが印象的でね。

鰻の子って、ドジョウじゃないよなあ…って考えたりしてた(笑)。

それから数十年後。

国際会議に出席するためスペインのバルセロナに行ったとき、

ほかの出席者3、4人と海岸近くのレストランに入ったんです。

そこのメニューにアンギュラス(鰻の稚魚)があった。

注文したみたら、出てきたのはマッチ棒より小さな魚。

30~40匹は入ってたかなあ。ほんのわずかな量です。

オリーブオイルでさっと炒めて、白ワインで味付けしてありましたが、

これが絶品だった。海外で食べたものの中で一番美味しかったんじゃないかなあ…。

白ワインとみごとにマッチして、いや、ほんとうに美味しかった。

値段は忘れたけど、高かったのだけ覚えてます(笑)。

これをいただいたとき、ふと、近所の古老のことを思い出しましてね。

これが、死ぬ前に見たいと言ってた鰻の稚魚かと…。感慨深かったですね。

何でも知ってたあのおじいさんに勝った!という気もちも、ちょっとあったな(笑)。

昭和45~46年頃からトラック輸送が主流になり、鉄道輸送は斜陽になりましたが、

親の仕事を間近で見ていたことが、私の専門につながったように思います。

流通経済大学は今年で創立50周年を迎えました。

龍ヶ崎が本部ですが、今後は新松戸校舎を中心に、

さらに大学を発展させていきたいと考えています。

経済学や法律学、社会学といった学科は東京に近いほうが便利ですからね。

来年4月、新松戸に建設中のもう一つの校舎が完成したら、

約160人の専任教員のうち、約半数は新松戸に研究室をもつ予定です。

私自身もそうでしたが、若い人は周りの大人に育てられるところが大きいと思うんです。

ヨーロッパでは、街の中に大学があるというより街全体がキャンパスといった感じがある。

人間的に成長する環境として、街はとてもいい場所だと思うんです。

若い人たちですから無作法なこともあるかと思いますが、

大きな目でみて、いろんな方に育てていただけるといいなと願っています。

(インタビュー:2015年5月29日)

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のじりとしあき★プロフィール
1950年栃木県生まれ。流通経済大学経済学部卒業。1979年3月、日本大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学。同年4月㈱日通総合研究所入社。1989年4月、流通経済大学社会学部助教授。1994年4月、流通経済大学社会学部教授。流通情報学部教授を経て法学部教授。1995年6月、学校法人日通学園理事。2002年11月〜2008年11月、流通経済大学学長。2013年6月~2015年3月、学校法人日通学園専務理事。2015年4月、流通経済大学学長。現在、東京新大学野球連盟会長、金融庁「自動車損害賠償保険審議会」特別委員、国土交通省「交通政策審議会」委員、国土交通省「交通政策審議会・物流部会」部会長。主な著書に「規制改革と競争政策―アメリカ運輸事業のディレギュレーション」(白桃書房)、「USフレイト・インダストリーズ」(白桃書房)、「流通関係法」(白桃書房)「貨物自動車政策の変遷」(流通経済大学出版会)ほか。