二つの読解力

 

そもそも何のために

子どもに読解力を身につけさせようと思うのでしょうか。

テストで良い点をとるためですか?

問題形式の読解は、

設問に答えられるように文章の無駄な個所を省きつつ、

分析しながら読み進めるという、とてもつまらない作業です。

だいたいは「次の文章を読んで問いに答えなさい」と書いてあります。

「あなたが感じたことを答えなさい」とは、まず書いてありません。

問題形式の読解では、「私はこう思う」という想いや感情は邪魔になります。

問題に正解するには筆者の考えと違う考えは持たないほうがいいのです。

勝手に筆者や主人公の気持ちを想像したり、

感情移入してはいけないのです。

全て書かれている文章から設問にあう答を探しさなければならないからです。

家庭学習や塾でさせている問題形式の文章の読解は、

感情を持たないように読む練習と言えます。

幼児から児童期にかけて大切なことは、

ゆっくり文章を読みながらイメージを再現し、

作品を深く味わう読み方です。

設問に答える、筆者の言いたいことを探す、などといったつまらない制限なしに、

その作品自体を楽しんでほしいのです。

物語の世界に入り込み、主人公の気持ちを想像し、自分なりの想いをめぐらす。

そうした想いや想像は、一人一人違っていて当然です。

大切なのは、そうした過程で、他者を思う気持ち、不思議に思う気持ち、

未知の世界への好奇心……そうしたさまざまな感覚が育ち、

豊かな心が育っていくことです。

これが、この時期の子供に必要な読解力です。

脳が柔軟なこの時期に身につけたほんものの読解力は、

子供の土台となり、底力になっていくはずです。

このように深く味わう読解力は、問題形式の勉強では身につきません。

 

読解するのに必要なもの

 

例えばこんな文章があったとします——

8月の最初の火曜日、キヨハルは叔父さんの車で海にやってきた。

途中、渋滞に巻き込まれて海水浴場に着いたのは正午を過ぎていたが、

去年、父親のお盆休みに電車を乗り継いで来た時と比べると、

海岸にいる客はかなり少なかった。

キヨハルはさっそく水着になり、

サンダルを脱ぎ捨てて海に向かって走り出した。

砂浜を飛び跳ねるように一気に駆け抜け、

頭から勢いよく海に飛び込んだ。

 

漢字に読み仮名をふれば、

低学年でもすらすら音読することができるでしょう。

それなりに場面をイメージすることもできるでしょう。

しかし、海に行ったことがあるかないか、

海をじっくり味わったことがあるかないかで

頭の中に浮かぶイメージは全然違うものになるはずです。

そして、海をじっくり楽しんだ子であれば、

実体験のイメージからその時の感情までもが再現されることでしょう。

例えばこんな感じです。

「さっそく水着になり」

を読んで、

そういえば、家から服の下に水着を着ていったよなぁ~

海に着く前から車の中で服を全部脱いでママに笑われたなぁ

着いたら、弟とどっちが先に海に入れるか競争したっけ…

楽しかった~

「砂浜を飛び跳ねるように一気に駆け抜け」

を読んで、

そうそう海の砂は超熱いから普通に走れないもんね。

砂の上で誰が一番我慢できるか競争したっけ。

パパは足を湿った砂のところまでねじ込んでズルしてたな…ふふふ(笑)

海に行ったことがない子は、

砂浜の砂が暑いことを知識として知っていてもピンときません。

海の水が塩辛いことを知識として知っていても、

やはり体験していないことは明確にイメージはできません。

海をじっくり味わったことがなければ、

引き波が足の指の間をすり抜けていく感覚や、

日焼けしてひりひりした皮膚の感覚を、

「海」というキーワードから再現することはできません。

もちろん、「海」というキーワードから再現されるイメージは

一人一人違います。

それぞれが体験してきた「海」が違うからです。

そして、その体験した時の感情もそれぞれ違います。

スイカ割りをして楽しかったイメージと感情が再現される人がいれば、

溺れそうになったイメージと恐怖が再現される人もいます。

しかし、体験をしていない人は、

表面的な知識を思い出すだけでおしまいです。

実体験がないので深い読解はできず、

明確なイメージの再現、感情の再現が出来ないのです。

諺にもあります。

「百聞は一見にしかず」と。

読解力を育てるには、実際に体験させるのが一番です。

テレビ、テレビゲーム、習い事、勉強は、

今の幼児・児童たちから多様な体験をする機会を奪うものです。

旅行でさえ大人にあわせた過密なスケジュールで

ゆっくりと味わうことができていません。

また、小さいころから外で遊ぶ時間を削って勉強をさせられると、

感情を殺しながら問題文を読解する練習を積むことになりますので、

感情が表に出にくい、物事を楽しめない、小さな大人のような子どもに成長します。

テストの点数を意識した多読、速読は、幼児・児童期にはさせてはいけないのです。

本を読む時間よりも、いろいろなことを実際に体験することが大切なのです。

多くの実体験を積むことは、読解力に限らず学力全般を育てることにつながります。

それは、勉強という枠をはるかに超えて、

豊かな感性と人生を楽しむ好奇心を育てる基になるのです。

だから幼児・児童期は、

出来るだけ自然の中で多様な体験をさせ、外で存分に遊ばせる必要があるのです。