なぜ? どうして? 考えることを楽しむ時間を
勉強に関して、次のような意見をよく聞きます。
「低学年のうちから【学習習慣】をつけましょう」
「毎日机に向かう習慣をつけましょう」
本当でしょうか?
『とりあえず机に向かわせて、毎日少しずつ勉強をさせる』
ということが、本当に子どもたちのプラスになるんでしょうか。
私はそうは思いません。
なぜなら、小学生で毎日1~2時間勉強する習慣がついていても、
「なぜ?」と疑問に思う習慣が
まるでついていない子にたくさん会ってきたからです。
学校の成績が優秀な子たちが、
つまらなそうに淡々とテストに出る内容を
覚えるという勉強をしているのを見て来たからです。
学校のテストではいい点数をとっているのに、
習っていないタイプの問題には手も足も出ない子たちを
たくさん見てきたからです。
そういう子たちは学校の教科書や問題集の内容を覚えてできるようにする
ということを勉強だと思っていて、
自分の興味のあることをどんどん掘り下げて学ぶということを知りません。
小さいころから「学習習慣」をつけるという名目で
楽しくもないプリント学習を強要され、
本来遊びや日常生活、自然体験の中で育つ「なぜ?どうして?」
という感情を殺されてきたのでしょう。
毎日、勉強や習い事に追われ、
息抜きでテレビやテレビゲームに依存し、
ゆっくり「なぜだろう?」「どうしてだろう?」と
思考を楽しむ時間がないのでしょう。
机に向かって勉強する学習習慣よりも大切なことは、
学ぶことを楽しいと思うこと、
「なぜ?どうして?」と身の周りにある不思議や
知らないことにわくわくする習慣を育てることではないでしょうか。
与えられたドリル、有無を言わせぬ宿題、塾からの課題、
嫌々やらされていることは
やらせる人の目が無くなればすぐにやめてしまいます。
大学生、社会人になって自分で学べない人はとても増えています。
子どもにつけさせたい忍耐力
そうは言っても「嫌なことでも我慢してやる習慣をつけないと」と
無理やり勉強させる方は少なくありません。
これは「忍耐力=我慢」と考えているから起こるのですが、
子どもにつけさせたい忍耐力は、
嫌なことをひたすら我慢すること、
単純な作業(暗記や計算)を繰り返すことではありません。
将来を見据え、知らないこと・わからないことをワクワク楽しみ、
解決方法を粘り強く考え続ける——
幼児・児童期につけさせたいのはこのような習慣ではないでしょうか。
具体的な例をご紹介しましょう。
これは小学1年生の次男が解いた問題です。
もちろん解き方は教えていません。全くのノーヒントです。
(問題)三つ目小僧チームと一つ目小僧チームがドッジボールをしています。三つ目小僧チームのほうが2人多いようです。全員の目の合計は22個です。三つ目小僧チームは何人いるでしょうか?
百マス計算や計算カード、教科書音読、漢字練習等の宿題は
「考えない作業」なので、考えない習慣、嫌なことを感情を殺して
ただ我慢する習慣が身につくのでさせていません。
(担任の先生にもその旨伝えてあります)
それなのに、というか、だからこそ、
こういう難しい問題に粘り強く考え続ける力が育っているのです。
しかし、学校で単純計算をたくさんさせられた日や、
ストレスがたまっている時には
このような問題をじっくり考えることはできません。
直前に計算問題を20問程度させたら、
頭の中は数字がぐるぐるして、意味のない数字を描きだします。
これは教室に来る子供たちにもいえることで、
低学年ほど顕著に表れます。
「思考する力、それを維持する忍耐力」を育てるには、
子どもが自由に考えられる時間的な余裕が必要です。
習い事で忙しい毎日や単純で強力な刺激(マス計算、計算ドリル、
教科書のひたすら音読等)を制限する必要があります。
「学校の宿題(計算・漢字ドリル)をやってから教室に来ると、
頭が働かないから帰ってからやることにしました」
と言ってきた小学3年生がいるほどです。
私が企業の人事管理職だった時、
理不尽な指示や業務にも弱音を吐かず、まじめに取り組み、
周りに協力を仰ぐこともせず自分一人で抱え、
結果として心と体を壊した社員や転職希望者(応募者)をたくさん見てきました。
小さいころから「勉強」を通じて、
指示されたことをただ我慢してする「忍耐力」はついていましたが、
「答えのない問題や課題を楽しみ、解決方法を考え続ける」
そういう習慣を身につけてこなかったがために、
言われるがまま、心と体を壊すまでやり続けてしまうのです。
もちろん社会では、自分一人で解決できないことも多くあるので、
人に助けを求めること、時にはその環境から逃げ出すことも必要ですが、
「勉強」を通じて身につくのは、
「一人で頑張ること(個人ブレー)」「絶対にあきらめないこと」なので、
そういったコミュニケーションができない人も少なくありません。