蓮根だ、牛蒡だ、こんにゃくだ、とり肉だ…
正月はそこにお餅も…がめ煮の雑煮

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子供のころの食卓は、家族そろって和やかにっていうんじゃないですね。

家には10歳上の姉と従兄弟が一人いたけど、兄は越境入学して下宿してたし、

親父は盆と正月ぐらいしか帰ってこなかったし…。

面白いんですよ、うちの親父。

三池炭坑の鉱夫で革命家。

三池闘争の時代に炭労(日本炭鉱労働組合)の副委員長やってた。

でも三池闘争で負けて東京にきて、労金(労働金庫)の支店長になって、

ぼくが23のとき、彼女の店で亡くなった。結構、エロチックなんです(笑)。

で、おふくろはギャンブルに狂ってたからね。

記憶の中ではみんなバラバラに食ってる。

だけど、盆と正月、お祭りとか結婚式とかには、

家族や親戚知人がみんな集まって、食って、飲んで、しゃべって。

そんなとき、おふくろは必ず「がめ煮」を作ってました。

ぼく、熊本の出身でね。九州では筑前煮のこと「がめ煮」っていうの。

蓮根だ、牛蒡だ、こんにゃくだ、とり肉だ、何だかんだ、いろんなものが入ってて、

正月には、そこにお餅も入る。がめ煮の雑煮。

しかも九州の雑煮だからね。餅の中にあんこまで入ってる。

いろんなものがもう、ぐっちゃぐちゃに入ってる。

考えてみれば奇妙なものだな。うちのお袋、がさつだったの(笑)。

でも、うまかった。

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だいたいオレ、食い道楽ってんじゃ、まったくないからね。

何でも食う。

エジプトに行ったときも、屋台のものは食うなって言われてたけど、

何でも食った。

でもお腹なんてぜんぜん壊さない。

ぼくらの世代って多分、みんなこうですよ。

貧乏な時代に育ってるからね。体力がある。

ベラルーシでは、乳製品とキノコは食べるなって言われてた。

チェルノブイリがあったからね。

でも、芝居が終わったあと、

おばちゃんたちが出してくれるのはだいたいそんなものばかり。

それが、めちゃくちゃうまいの(笑)。

1991年に「流山児マクベス」を持って韓国にいったときは、

2日間で2500人動員した。

反日感情の強かった時代に、通路も全部人で埋まってた。

それで、芝居が終わった真夜中、みんなでマッコリ飲んでプルコギ食べて…。

うまかったかったなあ。

イランは、イスラム国家だから酒が飲めないんです。

でも、ぼくらの芝居をみて、お前ら面白かったから来いよって。

ついて行くと、酒を出してくれたりする(笑)。

ロシアの貧乏な劇場では、芝居が終わったあと、チーズとウォッカとお塩で乾杯した。

あれはちょっと感動したな。

ホントにチーズしかないんだけど、それが美味しい。

ウォッカ飲みながら、こういうことをやりたいとか、お互いに腹を割って話す。

貧乏だけど、志は高いんです。ぼくらを呼んでくれるような人たちですからね。

世界に行けば面白い演劇がたくさんあるし、地方に行くともっと面白い演劇がある。

いろんな街でいろんな人と出会って、食べながらしゃべって、しゃべりながら飲んで。

その原点が、おふくろのがめ煮だったりするんだろうな。

うちのおふくろ、死ぬまでギャンブルばばあでね。

競輪、競馬、ボート、すべて。

脳梗塞で倒れても、車椅子になっても、ほぼ365日行ってた。

いなくなった翌朝、大宮とか大船から電話があるんです。名札つけてたからね。

不死身の徘徊老人(笑)。

でもどんなに惚けても、正月はがめ煮を作ってた。

おふくろのけじめだったんでしょうね。

だからオレ、55の時におふくろが亡くなるまで50年以上、

毎年正月にはがめ煮を食べてた。

 

 

 

 

 

 

そのおふくろが死んで、がめ煮もなくなった。

その喪失感はすごいですよ。

面白い親だなあって思います。親父もおふくろも。

財産は残さなかったけど、生き方を見せてくれた。

おふくろが老いていくのを見て、中高年劇団をやってみようと思ったの。

それが「楽塾」。平均年齢62歳。これが面白い!

人間、捨てたもんじゃないなって思う。

ホントはね、おふくろを芝居に出したかった。

芝居って記憶に残るだけなんですよね。

だから、人と出会うしかない。

オレらの思いみたいなものを誰かと共有して、

「それ面白いじゃん」って言ってくれる人とつながっていくしかないんです。

オレなんて子供のまま大きくなったようなもんだけど、

人間ってそんなに変わんないでしょ?

建前と本音とか使い分けるようになると、みんなつまんなくなっちゃうから、

芝居ぐらいはそんな場所でないようにしないとね。

(インタビュー:2014年6月10日)

りゅうざんじ しょう★プロフィール■

1947年11月熊本県荒尾市生まれ。「流山児★事務所」代表。芸術監督。
演出家•俳優。日本演出者協会副理事長。㈳日本劇団協議会事。青山学院大学経済学部中退。状況劇場、早稲田小劇場を経て、1970年「演劇団」を旗揚げ。1990年解散。第二次小劇場世代のリーダーとして三十余年を疾走し続け、演出作品は日本演劇界で前人未到の250本に及ぶ。1984年小劇場界の横断的活動を目指すプロデュース事務所「流山児★事務所」を設立。「青ひげ公の城」「人形の家」「盟三五大切」「ハイ・ライフ」「ユーリンタウン」など数多くの話題作を国内外で演出•プロデュース。近年は中高年劇団「楽塾」、高齢者劇団「パラダイス一座」など「セカンドライフの演劇運動」を日本全国で展開。韓国、カナダ、中国、エジプト、イラン、ロシア、ベラルーシなど世界各地で様々な作品を上演。役者としても映画、テレビ、舞台で異彩を放っている。