この冬は「冬眠」の予定だったが、その暇がない。
都会を捨てて地方に移住したのだから、
すこぶるのどかに日々が過ぎていくはずだと信じていたが、甘かった。
一年目は、三番目の孫娘が登場してきて、東京と那須を行ったり来たりで、
落ち着くゆとりもなかった。
二年目は、急に思い立って介護ヘルパーの資格をとろうなどと
無謀なことを思ってしまい、あっというまに二度目の冬を迎えてしまった。
そうなって、よくよく家の中を見まわしてみたらどうだろう。
クローゼットの奥に押し込んだまま、開いてもいない段ボール、
引き出しの中に整理もせずに突っ込んだままのあれこれ。
私ときたら、那須に衝動的に引っ越したせいで、
とりあえずの気持ちで運んできたものばかりにとり囲まれて
収拾のつかない状態になっていたのだ。
このままでは、次第に体力も落ち、やる気もうせ、
下手すると一番なりたくないゴミ屋敷の女主人になり果てるかも。
せっかく手に入れたお気に入りのこの家は
終の住処となるかもしれないのだから、もっとシンプルに、もっと素敵に、
もっと住み心地よくするべきではないか、と思ってしまった。
そんなわけで、「冬眠」などしている場合ではないと、
ここ数日間は、猛烈な勢いで家の中の整理を始めてしまっている。
暇ができたらゆっくりやればいいや、と思っていたけれど、
どうも、私はそういう性分ではなさそうだ。
思い立ったら猛然と動き出し、
慣性の法則のようにとどまることなくやり続けて、ばったり倒れる、
みたいなタイプかも。
などと思いつつ、この二年、なくても困らなかったもの、
使わなかったもの、をふるいわけしつつ、
これって、つまり「終活」ってやつよね、と思わずつぶやいてみたら、
不意に自分がこの世を去った時の場面が思い浮かんでしまった。
息子がやってきて、部屋の中をざっと見渡し、
「全部捨ててください、ボクにはこの間に必要のなかったものですから」
なんて言って、帰って行ったとしたら……。
ハッと気が付いた。
簡単に捨ててもらいたくないもの、
家族には持っていて欲しいもの、
孫娘たちが大きくなったら懐かしくなるだろうもの、
そういうものは彼らの住む家にこそ遺しておかねばならないゾ、と。
親である私が遺していくものには、
育てた息子やその子どもたちの人生の記憶をもまた内包されている。
私の遺すものは私だけの所有物ではないのじゃないの、
なんてことを思ってしまったのだった。
そのせいで、今、自分のそばに置いておきたいけれど、
この世を去る前までには、
息子家族の家に送り返しておかねばならないものもあるわけで、
考えれば考えるほどややこしいことになっていく。
そう、家族バラバラ時代の「終活」とは、
なかなかに難しく、奥が深いのだった。