東京から那須に移住して一年が経過した。
去年の春にいきなりやって来て、慌ただしく夏を過ごし、秋を味わい、冬を乗り越え……。
どの季節も想像以上に変化に富み、わくわくする体験ではあった。
が、しかし、この移住の経緯に関しては、いささか衝動的に過ぎたかなあと思う。
そもそも、息子があまりに驚いて「なに考えて、ひとりかってにそういうことをするわけ!」
みたいに怒った。それがあまりに思いがけなかったもので、
ついいろいろ理由を述べて、自分の選択の正当性を主張しているうちに、
気が付いたら引っ越しを実行してしまっていた、という感じ。
けれど、一年経ってみると
「確かに、なに考えてこういうことをしちゃったのかしらねえ?」と思う。
自分で自分の行動に首を傾げているのだ。
後悔しているわけではない。
14坪の小さな木の家は、広すぎず狭すぎず、夏は涼しく冬は暖かく、
つかず離れずの隣人たちは、みな個性的で面白いし。
おまけになにをしても自由。この自由さがなんともいえない。
人が共に暮らす場所というのは、かならずや善意のあまりに管理したがる人、
というのがいるものだけれど、なぜか、ここにはいない。
「みんな好きにやればいいのよ、おとななんだから」と言って、みなひょうひょうとしている。
ここでは、部屋にひきこもっていたければそうできる。
積極的に活動しようと思えばそれもできる。
毎日勝手に温泉にも行けるし、旅にも行ける。
そして、ふらふらと出かけたりしても、
いつでもここにもどってくればいいのよねえ、という安心感がある。
想像以上に、ここが自分に合う場所だったのは、ほんとうに運がよかった。
よくよく考えてみると、私の人生は、おおむね、今回のように「衝動的に自分で突っ走ったこと」と
「思いもしないことが降ってきて受け入れるしかなかったこと」、この二つによって成り立ってきた。
計画的な選択とか、熟慮の結果とか、人生の岐路に立って悩むとか、
そういうこととは無縁だった。
悪く言えば、考えなしに生きてきた、
よく言えばひたむきになりゆきで生きてきたのだなあ、と思う。
ここ1か月、冬ごもりのため部屋で一人、過ごす時間が長すぎて、
燃え盛るストーブの変幻自在な炎を眺めては、
自分自身の「不可解さ」についてしきりと物想ってしまった。
なんで、若い頃に家出なんかしたのだろう。
なんで、未婚で子どもを産んだりしたんだろう。
なんで、あっさりと離婚したんだろう、などなど。
「家族」にまみれていた時は、自分のなしたことに関心を抱いている余裕などほとんどなかった。
けれど、すっきり「家族」を卒業してみたら、
なんと一番わけの分からない存在は、自分だった、と気づいてしまったらしい。
そんなわけで、
総括不能な那須移住一周年記念の春を今、一人で迎えようとしている私である。